今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

ズレているのか。

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教員をしていると、自分は周りと感覚がずれているのではないか、と思うことがしばしば。

現場で、これが大切!と言われていることが、自分にとっては本当に大切か?と思うことも結構ある。

ま、西川研究室にいる時からそういうのはたくさんあって。
YouTubeの動画でも上がっているかもしれないが、板書、とか、そういうものだ。

別に、大切にしている方がいるのは分かるし、それを否定したいわけでも邪魔したいわけでもない。

ただ、ずれを感じる。

そして、そういったズレに共通しているところも見えてきた。

例えば、本来こうした方がいい!とされていることは、私にとっては別にそこは大切か?と思うことなのだが。
それが、工業化社会のような、大量生産、大量雇用のような社会向けの、均一に揃った人を育てるために必要だった物事で。

そういう、均一とか、みんな同じに、とか。
一人一人の、一つ一つの動作を、、、みたいなのは、私自身あまり気にしていない傾向がある。

逆に、人と違うこと、自分の得意や興味に価値があると思うし、それらを活かせるような場を作ったり、それに取り組もうとする時に存分に許容してきたと思うが。

それらが、あまり良くない、と言われてしまうと、私自身ずれているのか?と思うことになる。

例えば、授業中に絵を描いている子供がいるとする。

私としてはどうでも良いというか、まずそれを描いている原因を考えた時に、それは授業の面白さとか、そういうものを想像したり。
そして、それを手段としてどうするのか、ということを投げかけたりするかもしれないが。

基本的には、指示が通っていて集団に合わせて動けているのなら、特に何も言わない。

それに、例えばそれが自分の好きにつながったり、誰かとの話題になったりするかもしれない、と思うけれど。

でも、おそらく大多数は「どうして授業中に落書きなんか、、、」と思うだろうし。

ま、そんなこと言ってたら、研究室の時にゼミの師の問答中にカップラーメンやご飯を食べる人なんていなかったのだろうけれども。

じゃあ、その子は絶対にそれをしていなくては生活できないかといえばそうではないし、人や場によっては適切に行動できるわけだ。

と、考えていると、あまり注意する、という気持ちにもなれない。
基本的には、私は良いけれども、そうではない価値観を持っている人もいて、その人とうまく関わっていくには考えた方がいい、と全体に伝えるとは思う。

でもね。
だからこそ、この自分の感覚というか、価値観と現場での価値観の「ズレ」に悩むことがあって。

そんなこと気にするのか!と思うことも、私の不注意で怒られてしまう子供達がいるかもしれないし。

うーん、難しい。

実際、そのズレに何か問題がリアルに発生しているかといえば、むしろ子供達は非常にのびのび生活しているとも思う。

故に、うーん、だ。

とりあえず私に大事なのは、この「ズレ」を無視し続けるのではなく、ズレをしっかり捉えた上で、自分の軸はぶらさずに、子供達に問うていくようにするのが良いのではないかなぁ、と思う。

また、この「ズレ」を捉え続けることが、自分がぶれないためにも大切なことのようにも思う。