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覚悟の週が始まる。要録や学年末会計処理、学年末に向けた成績処理や6送会の準備。何より自分の受け持つ教科の締めにかかる。
覚悟していたことだが、残業も増えるし負担も増える。
自分の持てる知能とAIの技術等をフル動員して仕事を捌く。
あぁ、早く帰りたい。
さ、群馬の振り返りと行きましょう!
<西川純氏による、若手教員に伝えたいこと>
70代まで働く世界になる。また、学校制度は変わっていく。それは少子化によるものや、通学の困難さゆえの通信制の拡大。
この中で教師を続けるためには、『』の実践をし続けること。
また、崩壊を見ながら、自分のやっていることをSNSで投稿し続け、次の改革を行うような人の目にとまるようにする。
ま、今やっていることを続けていくことが大事だということです。
<山﨑さんのお話>
今回の山﨑さんの話を一言でまとめるなら、『学び合い』が起こり得る要素について、だと感じました。
以前もN研会でお話させていただきましたが、「1人も見捨てない」のルール化は、ただの押し付けになる、ということ。
要は教員の顔色を伺い、「動いた方がよさそう」と腹落ちしない状態で動くということでもある。
ルールではなく、その価値観として落ちるかどうか。
これが、『学び合い」は考え方である、という所以でもあると思いました。
型の通りにやると、教員のマインドによってはうまく行きますが。
逆に失敗するような時は、この「誰1人見捨てない」が縛りとなっていることが多い。
そうではなく、それが得である、ということが落ちるかどうか。
だからこそ『学び合い』とは、子ども集団が有能であるという子供観と学校は多様で多数の人と折り合いをつけて生活することを学ぶ場であると言う学校観が大切であり。
また多様で多数の人と折り合いをつけ、さらにそういった人の力を借りながら、『自己の』課題を解決するという力を身につけること。
あくまで自己の課題を解決することが大切であり、そのために得だからこそつながる価値がある、とも言える。
それを学ぶ場として教科学習という環境を設定しているかどうか、ということなのかなと。
そういう基準に照らすと、あの型だけが『学び合い』ではないということもわかる。
また、『学び合い』とはホモサピエンスの生存戦略である、というのもよくわかる。
と、いうことをよく理解し、自己を振り返りながら毎日生活すること、自分自身の生存戦略として軸においていることが何より大切だなぁ、と感じる。
<増田さんのお話>
増田さんのお話は、もうなんていうのか、いつも投稿でも聞いていたり、新潟での『学び合い』の会でも話は伺っていたけれども。
すごいなぁ、とその一言に尽きる。
教務主任という立場は当然色々なことを考えるポジションであるわけだけれども、だからこそ着手できることがあることがわかった。
地域との協力や教員の負担減など、自分が理想とする形態を整えていっている感じがする。
当然私の立場的にもまだまだできることが少ないのは事実として。
でも、増田さんが築いてきた関係性は、色々なところに出向いたり、会を通して繋がった、そこから始まっているようにも感じた。
だからこそ、そこは私自身も今からでもできるところだと思う。
2足の草鞋ではないけれども、教員としての自分と、社会人としての自分。それらをうまく高め、使いながら、より子供達の将来の幸せ、という部分にフォーカスして行動を起こしていく意義を感じた。
<牧野さんのお話>
『学び合い』婚活、なんてすごいインパクトのある響き。
といっても、実は以前の群馬のセミナーの時からそういったものについては知っていて、非常に面白そうだなと感じていた。
だけれども、牧野さん自身の経歴を知ることができ、より興味が湧く。
色々な部分に『学び合い』と婚活の共通点がある、とおっしゃっていた。
確かに、授業としての『学び合い』との共通点は多い。
だがそれ以上に、やはり「生存戦略」であるからこそ、自分が生きるのに有効な手段、考え方であるというのがよくわかる。
さて、会全体としての内容はこれくらい。
続きは懇親会や2?3?次会でのお話。
また長くなってきたのでこれくらい。