第19回『学び合い』セミナーin群馬に参加。
これで3年目の参加になるけれども、何度行っても学びが多い会だった。
ということで、振り返っていきます。
<ブログでつながる>
これは大学の時にも感じたことだが、ブログの投稿によってつながりが維持されていることをとても実感します。
一年ぶりに会う方々が、最近の自分の行動を知っていたりする、など。
なので、私の体調不良のブログや画像も見てくださっていたので、会に行くとまず体調の方を心配されました。心配をかけているのはとても申し訳ないことですが、1年ぶりに会うのに話題が最近のこと、というところには面白さを感じました。
なので、初任としてどう過ごしているか、というところについてもすんなり話が進んだりする。
投稿をしたり、見たりしていて思うことだけれども、『毎日』投稿という部分が、非常に大事なように思う。
私の投稿が表示されてしまうことに対して良い悪いは別として、毎日投稿している方の、投稿が表示される率が非常に高い。
ま、当然の話だけれども、目につきやすい。
だからこそ、何気なくその人が今どんなことをしていて、どう感じているのか、全然遠い場所にいても伝わってくるし、深く読めばその人の近況も理解できる。
教員になって、そういう学びの場や、県外の見学に頻繁に行けなくなったからこそ感じる、発信を続けるメリットを改めて実感しました。
ちなみに、ゼミの先輩にも久しぶりに(オンラインでは毎月ですが)会いまして。
案の定ブログの文の長さをいじられるわけですが。
大学時代は投稿の形態に悩んだりして、要約を書いたり、AIに要約させたりしていましたが、今はあまり悩まなくなった気がします。
見る人は見るし、見ない人は見ない。引っかかる人は引っかかるし、引っかからない人は引っかからない。
以前悩んでいた時にコメントいただいたことで、「自分らしく」という考え方が腑に落ちた気がします。
ということで、変わらずこのままいこうと思います。
返答で「やってから言ってください」とは言ったものの、やればできそうな人なので、普通に楽しみにしています。
<会の資料から>
実はサラッとこの会の始まる前に配られた資料。『学び合い』についてAIでまとめてあるのだろうなぁ、と思っていたのですが、案の定そうらしく。
『学び合い』の会に出ていると、AIの話も最近よく聞く気がします。
そういう、最先端というか、新しいものに次々に挑戦していくような方々ばかりで。
なんというのか、学ぶ姿勢というか、そういうものが常に漂っている空気感があり、こちらの気持ちも非常に引き締まるというもの。
『学び合い』についても、しっかりまとめられていました。
<西川純氏の講演>
ゼミで何度も聞いてきた話。
動画や本も研究するために多く?というかほとんど?見たり読んだりした。
だからこそ、一年経っても染みついたものは健在で、次に話すこと、問いの答えはすっと頭に出てくる。
これはゼミ生みんなそうなのだと思うけれど、教員になってから考えるとこれはすごいことだと思う。
この人ならこう言う、と言うのが染み付くのは、学級で一日ずっと一緒にいて、それが一年たった今でも全員からぱっと出てくる、と言うのはなかなかない気がしている。
でも、大学という、教員に会う時間が短い状態でも、そうなのは。
一貫してブレずに同じことを伝え続け、すべての物事がそこにつながっているからだなと改めて感じる。
そう考えた時に、自分はこの1年間一貫していたか?と振り返る。
考えていること、軸はぶれていない。
でも、授業は多種多様に行ったし、語りもそうだ。
だが、同じことを伝える、毎日言う、と言うのはなかった気もする。
少し来年度に生かそうと思う。
話を聞いていて、改めて大切だなと感じた部分がいくつか。
・授業を聞いてもらうには、『自分を見てもらう』。
人は人を見て判断する。と言うところ。
確かに、一年通して子どもたちの様子を見てきたけれど、これはすごく大切。
そして、自分の話を聞く人が減ったなぁ、と感じる時は、大抵『自分を見てもらう』意識がなくなってきたと言うこと。それは逆に自分が相手を見てなかったり、褒めたり認めたりできていない、と言うことでもあるのかなぁと。
最近少し実感することでもあるので、もっと見ていることを伝えたいなと思う。
三学期になり、より高次の目標を掲げることが多くなって。
『もっと』を求めると、語りも力が入るけれど。そうすると、気づけば『今』頑張っていることに目が行きにくくなる。
だから、『今』もしっかり認めて(今の時点でもすでにすごいのだ)そしてもっとできるかもと言う可能性を伝えていくようにするのが良いのだなと思う。
教員として、『学び合い』としておすすめなのが、本を置くこと、問答をすること、と言っていた。
そうだなぁ、と思いながら、実践できていないことを考える。
本を置く、は確かにやっていない。
子供達を信じていないわけではなく、普通に置き場所に困っているのと。
自分の本を持っていくことに若干の抵抗がある、と言うことだ。
が、やってみようと思う。
問答については一時期やっていたが、今はやっていない。
三学期の、一年の振り返りのタイミングでやってみようかなと思う。
問答で大切なのは、自分の軸がしっかりとしていること、と言っていた。
そしてそれは『』の生存戦略がしっかり理解していて、それをベースに自分が生きているか、というところだと。
自分を見つめ直すと言う点においても、やってみるのもいいかもしれない。
ただ、少しだけ引っかかるところもある。
子供達は思った以上に私の言葉を覚えているし、それを家で話している。
問答を繰り返すことで、自分の生き方や情報を伝えることになるが。
それは子供のみに伝わるのではなく、その後ろにいる家族にも伝わる。
それをどう捉えるか、と言うところもよく考えなければいけないなと思う。
別に自分の生き方がどうとか、そう言うことではなく。
単純に「先生ってこう生きていて、こう考えている」と子どもが保護者の方に伝えた時に、当然それを受け入れられない、別の考えを持つ方もいらっしゃる。
そこのリスクというか、そういうものを正直考えてしまっているのもある。
さて、今回の話では退職後の話についても語られていた。
先生の話を聞いて、多く?の方が引っかかる点として、幸せについて話すときに『家族』について話すことかなと思う。
結婚して伴侶を持ち、家庭を持つ。
家族仲良く健康で、とずっと言っているし、それのための投資でもあると。
でも、その考えに納得しない、それが全てではない、という人がいるのも納得できる。
あくまで先生自身は、ホモサピエンスが持つ本能的に、合理的に幸せになる方法について言っているのだと思う。
自己保存と種の保存。
そして、そのベースがあれば、退職後は『学び合い』的な、現代に必要なもの(多様で多数の繋がり)などもいらない、と。
これもホモサピエンスの本能である、と。
そこは、半分納得、くらいの感覚なのだ。
まだその年になっていないし、色々な要素も足りていないが。
自分は、その時にそれに納得するのかなぁ、と考える。
そこは本当に退職した後に見える世界のように捉えていて、そのための準備はするけれども、どうするか、どれが自分の幸せであるかはよく考えていこうと思う。
続く。