今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

宝物

今日は、自分の担任しているクラスの1/2成人式(正式には1/2ではないので、別の名前をみんなで考えましたが)が行われました。

色々子供達もやりたいことがあって、保護者の方と話し合いを重ねて。
結局、10時過ぎからお昼休憩を除いて、14時半ごろまでの大掛かりな活動になりました。

レクリエーションや手形アート、お手紙作成や頑張りたいこと宣言など、いろいろな子供達の成長を感じることができる、また保護者の方々と協力することができる場面が設定されていました。

中心になってやりたい!と手を挙げた児童は、学級の約半分。
その子達を全員実行委員とし、主に司会進行は全て任せました。

今回は時間の関係上、司会の原稿は私が作ったものの、彼らなりに捉えて言葉を紡いでいました。

また、飾り付けも先陣を切ってみんなでやる。

昨日と、今日の準備段階で、相当長い折り紙リングを作っていました。

また、黒板のデザインも子供達が考え、自分たちで描いている。

私は、常に「いいんじゃない?」しか言わない。

当然、長いイベントでしたので、ハプニングもあれど子供達の成長が見られた会でした。

色々、感じるところはありました。
一つは保護者と子供達、保護者間の交流。

こういう行事は、確かに計画自体は大変だけれども、保護者間でも話題が生まれるし、子供達はそれを通じて『家庭』として関わりを持っていく姿が見られて。

そこが非常に温かい。

手形アートなんかは、自由に座った班の座席で行いましたが、それぞれが良いところを見あって取り入れて作成していて。

んー、勝手にいい感じに交流している〜とニコニコしながら写真を撮る。

レクリエーションも、子供達がやりたいと言った結構ハードなスポーツにも、保護者の方が協力的で。

子供達の危険がないように、でも楽しんでいる。

子供達は応援を一身に受け、大好きなドッジボールでは奇跡のキャッチを多くの子が成功させる。
それとれるの!?みたいなの。

そういう姿こそ、1/2成人式に相応しい、成長した姿でもあったのかなぁ、と。

ですが当然全てがうまくいく、ということはなく。
計画し、綻びが生まれるところも予想して計画を練っていたとしても、です。

問題はそこにどう対応するか。

と、以前ならそう思考していましたが、今はそうではない。

どう対応するか、『子供達が』。になっているのを感じます。

壁は多く、大きいものが立ち塞がる。

当然大学までの自分なら、自分で対応する道筋を考えた。
教員になってからは、自分で考え、子供に伝えるところから始まり。
次第に自分で考え、子供に問いかけ、一緒に考える、になる。

そして今は、子供達が、考え対応する。

そこに私の意思はない、とは言えないし、積み重ねた時間が、彼らに私の価値観を伝達し浸透させるに足るものだったとも思うけれど。

でも、彼らが判断し、彼らで考え、彼らが行動する。

とある発表で、1人が緊張で何も話せなくなってしまった。
5分、10分と経過し。

本来、5分固まった段階で、見ている教員がサポートに入る。

だが、それでも押し黙る。

10分経っても、それは変わらない。15分、20分が経った。
けれど、一貫して私の行動は、静かに待つこと。

行動したのは、子供達だった。

近くにいる子供たちが、励ましの声をかけ続け、「代わりに読もうか?」という声も、たくさん聞こえる。

2列で並んでいたが、遠くから来て話を聞く子供達もいる。

何より、子供達はそれまで三角座りで待機していたが。
最後はほとんど全員が、若干腰を浮かして動けるようにする姿が見られた。

保護者の方々にとっては、辛い時間だったかもしれない。戸惑いもあったと思う。

本人も、苦しい時間だったと思う。

でも、私にとっては、そここそが集団の成長のタイミング。
誰1人も見捨てず、みんなで頑張るために、自分という存在は何ができるか思考し、行動する。

結果はどうであれ、その過程が見られた、その思考が生まれた、その一瞬こそ。

今日この活動をして、本当に集団が成長した瞬間のように映った。

長く苦しい時間の中で、どうしようもないと1人で悩んでいる、その時こそ。集団の成長が見られるとも思う。集団の一員になっていくのだとも思う。

さて、無事に終わり役員選出のために集まっていただいた教室。本来は教員は介入せず、別教室にて児童管理なのだが。
最初の数分をいただき、お話しさせていただいた。

今回の会の準備や参加の感謝を。これまでの感謝を。
そして、人には得意不得意があり、それらが今日の活動にも当然存在していること。
長く苦しい時間もあり、私の姿を冷酷で無慈悲だと思う方もいるということ。

でも、だからこそ、あの時間に現れた、子供たちの『集団として』の成長が素晴らしかったこと。

そういう場面を増やして、子供たちが幸せになってほしい・一生涯のつながりを作りたい、ということ。

同じ場面を見て、何かを感じてくれている保護者の方々だからこそ届く語りであり思い。

何事もなく終わってよかったね!ではなく。
何事かはあるが、それこそが子供たちの成長であり、保護者の方々に想いを伝える場面にもなった。

私にとっても、教員として宝物になった一日である。