1800
1/2成人式というイベントを来週の頭に控えた今週最後の日。
ある程度準備も終わってきているので、普通の授業をしたり、避難訓練があったり。
今日も、昨日に続き成長したな、と思う姿がたくさん見られました。
算数の授業。
昨日も書いた『』の形式での動き。
これは、非常に素晴らしい。
昨日の反省を踏まえて、全体的なスピードも上がり。
今日はギリギリ全員達成。
その「達成できるかどうか」というハラハラ感が、全体にあったように思います。
昨日は、ラスト1人の時にみんなが集まりかけて、集中できないから、といい理由で適度に解散しましたが。
今日は、全員が集まる。
当然、全員で囲むわけではないのですが、教室の一点にみんなが集中している状態になる。
みんなが教えるのではなく、でも遠すぎず、席一つ分離れたところくらいからみんな見守る、みたいな。
終わった時はとても盛り上がった。
この授業で面白いのは、やはり学級での子供達の動き、点在具合です。
最初は個人で学習を始め、すぐに終わった人から誰かとペアになってやり始める。
そうして、ペア集団が増えてきて、それらが分裂と融合を繰り返す。
大きくなったり、また少なくなったり。
それは、自分の力でやれると思ったら周りが離れて、別の人のところに行ったりするからでしょう。
今日は、いつも関わりが見られないようなメンバー同士の教え合う姿が見られて、すごく面白かった。
こういう時間が楽しいんですよね。
さて、6限は子供達に1/2成人式の飾り付けをしてもらう。
といっても、漠然と飾り付けた方がいいか?という思考はあったものの、そもそも私自身そういったものに疎い。
そうしたら子供達から「飾り付けしないんですか?」と聞かれる。
なので、「やりたいならやれば??」と返す。道具はある。
「じゃあこの後の時間全部あげるので、指揮取ってみんなでやって〜」というと、行動開始。
帰りの支度をして、会場へ移動する。
みんな続々と。
結局ゆっくり私がその会場へ移動したら、すでに何名かが前に出て、何をするのかの説明をしている。
結局、あーだこーだいっていた人も、みんな同じ飾り(折り紙で輪っかを作るやつ)を協力して作る。
当然、班とかなんだとか決めていないようで、好きなように集まって作る「という指示を出していた」ようで。
ここも面白い。勝手にどうこうではなく、そこにしっかりとリーダーシップが見られるのが。
そうしてみんなで飾りを作っていく。
途中、指揮をとっていた子供に、「先生、これはやっていいですか?」とか、「こうした方がいいですか?」と聞かれるが、私はにっこりと、「そう思うのならいいんじゃない?やってみれば?」と言うか「みんなに聞いてみたら?」と言うだけ。
そうすると、だんだん自分『たち』で判断して、行動するようになっていった。
あー面白い。
はっきりいえば、私は折り紙とか、飾り付けとか、全然できないのだ。
やろうと思えばやれるけれど、発想にないし、やりたいとも思わない笑
それに、私1人でやるのは明らかに労力がかかりすぎる。
けれど。
子供達は私にない発想をするし、それを『人数』と言う最大の労働力で賄ってくる。
私ができることなど、ほぼないのだ。
いつも思う。
私が1人で頑張ってこの程度か、と思うようなことを。
子供達に願い、伝えると一瞬で、数倍のクオリティで出してくることがある。
私にはできない。
きっと、子供一人ひとりができるか、と言われたらそうではない。
けれど、集まればできる。
その集団の強さを、改めて感じる機会が、三学期に入ってとても多い気がしている。
確実に、私の手を離れていっているな、ということも感じる。
ま、まだ聞いてくるけれど。
ゼミの師もずーーっと同じ回答ばかり繰り返していた。
それと同じことなのだなぁとよくわかる。
基本的に「いいんじゃない?」しか言わないのである。
そこで失敗しても、特に怒ることもない。
そして失敗した時の責任は、自分(教員)が取る、ということ。
これをもっと伝えられると、とうとう彼らは、何も聞かずに自分たちで判断し、行動する集団へと進化していくのかもしれない。
気づけば、始まってそうそう、一ヶ月の半分以上が終わっている。
三学期終了まで、一瞬だ。
私自身が集団に何を残せるか、というところは特に気にしていないくて。
彼らが、どんな集団になっていくのか、というところだけが、非常に楽しみなところである。
余談だが、書いていて思うこともある。一年始まって、彼らは私について「色々なことができる」と思っている側面と、「でもできないことが確実にあって、それをしっかり伝えてくる」という側面を知っている。
できる、という面は普通に行動していてそうなるが。
例えば、図工や体育の特定の種目ができないことは、その場で伝えているし。
できないことは特に恥ずかしいとも思っていない。
むしろ子供達に聞きながら、学び成長している。
だから、子供達も私に何ができて何ができないのかも知っている。
いい意味で、教師という大人を神聖化していない。
だから色々伝わるのだろうし、何より『私自身が、一番やりやすくて、楽しい。』のだ。