教員採用試験や大学でも聞かれた問いだけれど、「あなたの理想の教師像はなんですか?」というもの。
結構よくあるなぁと感じる回答の一つに「自分に今までよくしてくれた先生の姿」を理想としているものがある。
実際、教員になりたいと思う理由の一つが、自分にとって良い先生、素敵な先生と出会い、教師を志す、というもの。
それ自体が悪いことではないし、今や教員採用試験に挑み、教員になりたい、という人自体が少なくなってきているからこそ、どんなきっかけであれ教員が増えるのは嬉しいこともであると思う。
ただ、漠然と考えるのは「こういう先生になりたい」という理想を持った時に、それが特定の人物の姿によるものだと、そこが上限になってしまうのではないか?ということ。
自分にとって〇〇してくれたから、あんな先生になりたい、という理想があった時に。
では、自分にとってそうだったが、他の生徒に対してどうだったか、というところをどれだけ考え、自分の理想を拡大できるか、というところ。
これまで一年にも満たない経験の中であるけれど、自分自身のやり方や考え方を持って実践していくと、自分のやり方が良い!と考えやすくなっていく気がしている。
以前コメント等でも教えていただいた、「自分自身を批判的に見ること」、言い換えれば「自分の行動を常に自分視点だけでなく(主観)、客観的な視点で見ること」が必要であるということ。
そうすると、「こういう先生になりたい」という気持ちも、客観的に捉えていくとより幅を持たせることができたり、柔軟に捉えて実践していくことができると思う。
結局何を考えて、何が言いたいかというと、「理想の教師像を求められた時の答えが、『誰にとって』の理想の教師像なのか」ということ。
学級の実態を考慮せず、自分のなりたい理想を追い求めれば、上手くいかないのではないかな、と思う。
でも、『子どもたちにとって』、自分が考える理想の教師像は、、、と考えると、少し道が見えてくる気がする。
当然、子ども一人ひとりに合った教員なんぞ千差万別であり、それが同一の一人の人間に成し得ないことはわかる。
だから、子どもたち、という『集団』にとって理想の教師像を考える。
そうしていくと、結果的に自分のやっていること一辺倒にならず、常に新しい手段や考え方を求めて、自分の理想を達成しようとしていくことができるのではないかとも思う。
上手くいっていないのであれば上手くいくために、上手くいっているのであればより上手くいくために。
自分のやり方とは、全く違うところに手を伸ばしてみて、やってみたりして、自分自身の知識や経験をより膨らませる。
以前のブログでも書いたけれど、学ぶことをやめないこと。
今上手くいっていることに頼り切らず、より面白くできるように新しいものを取り入れていく。
例えば自分にとって、今それはクラス会議にあたるけれど。
考え方ややり方が自分流、固定化されやすい現場の中でこそ、常に自分になかったもの、新しいものを求めて学んでいくこと。
それが結果的に、既に到来してきている困難な状況を凌ぐための方法になるように思う。