今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

2025/12/21 魚沼『学び合い』の会

今日は、魚沼『学び合い』の会に参加させていただきました。
zoom担当のような形でお誘いいただき、ですが私にとってはとんでもない量の学びの場になりました。

今日は、瀬戸ツクルスクール・瀬戸プラクティカルカレッジの一尾茂疋さんのお話を聞く。

そもそも、この二つは私が大学の時に伺い、教育観が破壊された(笑)場所です。

印象的な1日すぎるが故に、今でも鮮明に思い出すことができます。

それこそ、今回の回の初めに一尾さんから、車の速度メーターの話がありました。

なぜ出しもしないスピードの上限が、設けられているのか。
それは、振り切ることはなくとも、上限を広く取っておくことに意味がある、ということ。
今やっていることが全力全開ではなく、その余白があることに意味がある、というところで納得。

それこそ、一年前に伺った時に教育観がリセット、再構築され。
そこで、教育とはどうあるべきか、という問いに向き合い続ける定め的なものを持ったと思っています。

それはまさに公教育を受けない、という選択肢をとったルート。
でも、子どもたちの顔や、その先の将来設計は、驚くべきものでした。

故に、悩みながら行くべきなのだろうなと思っています。

公教育を行う立場として、自分の使命は真っ当する。
できることを、できる限りやるつもりでもあります。

ただ、そうではない道や、いろいろな方法、ルートを知っているか知らないかで、心の持ちようは変わる。

私自身、ツクルスクールの訪問や、フリースクール等の公教育以外の学びの場からの学びにおいて、今やっていることは全てではない、また勉強だけが全てではなく、何が教育において大切かは、とにかく子どもたちの将来のことであるはずだ、という視点に立ちかえることができたわけです。

そうすると、例えば学校で起こる些細な事象に対しても、非常に大きな器というか、容量を持って対応したり、声をかけることが可能なわけです。

だから、速度メーター。
振り切ることがないし、公教育人として振り切れる環境にもいないんだけれども。

でも、余白を知っておくことは、心の余裕に、まさにつながっているなと初めの話から納得。

さて、今回お聞きした話は、ツクルスクールが今どうか、という話よりも、今の形にどうやってなっていったのか、というところに焦点が当たったお話だったと思います。

まさに、4月から始める、学級経営のスタートのように、どのような軸を持って、どのような方法を取ってこられたのか、という話。

ここもまぁ、スタートから一つずつ感想を書いていってもいいのですが、それはめちゃくちゃ長くなってしまうので割愛。

こちらとして学びが多くあった、考えたことを中心にまとめてみます。

まず昼食システム。
これは以前伺った時にもお話をお聞きしたのですが、『子供のため』スタートのものが多い(仮)学校に対して、ツクルスクールの昼食は保護者の方の負担を減らす、というところからきているそうで。

今になって考えれば、それは圧倒的な学びの量を保証する取り組みなわけですが。それこそ地元のスーパーに行き、考え物を作り、お金を集め、消費するわけで。
また、その際にたくさんの人と関わることもある。

そりゃ、今の学校の子達よりも、めちゃくちゃ社会のこと知っているよな、となるわけですが。

そういうスタートだったのだなぁ、と。

次に考えさせられたのは、『今の学校』が保証できること、やれることは何か、というお話。

これは、一年前にツクルスクールに行ってから、ずーっと考えている課題でもあります。

『学校だからできること』

勉強も、時代の変化とともに家庭での学習やオンラインでの授業もできるように。

では、『学校』という場で、『学校』というシステムでこそ、できることはあるか。

私の回答としては、『強制的に』、探さずともあるコミュニティに属し、関わりを持たされる状態になる、というところ。

この『強制的に』というのも、なんだかなぁと思うところではありますが。

一尾さん曰く、今の学校と家庭は地続きの状態。
家庭でも、学校でも同じことを求められている、と。

また、家庭では習い事等も増え、余白がない。
そこに、学校に来ても余白がない。

ここに関しては、実際学校現場に出てからより感じる部分だと思います。

本当に、子供達に余白がなさすぎる。
家に帰れば、習い事、土日もそう。学校に来れば、朝から夕方まで椅子に座って勉強。

だからたまにある休み時間が天国に感じる。

それは、学校の辛い時間に対しての解放を感じているのではなく。

そもそもの、家庭の時間も含めた『一日』の解放を求めているのかもしれない。

そう考えると、私の授業で、ほぼ、または半分が自由に動く形をとっているのは、子供たちにとってはストレスフリーなのかもしれません。

そういう、余白のなさ。また、学校自体の価値・新鮮味のなさ。
そこを、教員としてどう改革していけるか、というところが非常に面白いところでもあり、考えてはいけないところだなと思います。

そして、やはりこれだけ不登校が増えていく現状として、余白のなさ、は大きく関係していると思います。

もっと、ゆっくりすればいいのに。

さて、次に印象に残った話として、「お客にさせない」という部分。

今でもそうらしいですが、ツクルスクールの登校日に人数が集まらなければ、やらない、とするらしい。

そうすることで、参加不参加の自由はあるが、それによる影響はしっかり存在している、ということを意識づけるらしい。

ふむ、納得。

今でこそ違うと思いますが、1学期の学級としてはやはり「お客様」感がありました。
これは、受け身の状態、自分たちに責任が伴っていない状態でもあります。

行けと言われているから行っている、とか、やれと言われるからやっている、とか。そんな感じ。

結局、そこを打開したのは、私自身の思っている課題感を子供達に問いかけたことでした。

結局、お客様ではなく、子供たち事として捉え、責任があることを感じる機会をどんどん作っていくことが大切なように思います。

一尾さんの、「試しに学級の2/3くらいいなくなったらわかる」という話は、とても面白かった。
そこまでしなければ、子供や家庭個人の問題である、と片付けられてしまう。

でも、違うのだと。
来たくないから来ないのだ。行きたくないから、行かないのだ。
そして、その原因は個人ではなく、その向かう対象なのだと。

だからやはり、どう学校が価値あるものとして存在できるか、そういう環境であるか、というところや、それに対して教員が何をできるかをよく考えた方がいい。(むしろ、何をしないか、も考えた方がいい)

さて、次に考えたのは、場の話。

先ほどから、『余白』という言葉が出てきているが。
実際、ツクルスクール自体も場所を何度か変えてきていたそうで。

それは、人数に合わせて、というよりも。
場によって、その余白を埋めるように人数が埋まっていく感覚なので。

そうやって、大きい場を作っていったわけですが。

そう考えると、今の学校ってとっても不気味。

少子化が進み、学級は数十年前の学級の人数よりとても少なくなっている。
以前は何十人といた教室が、数人程度の活用。

はっきり言えば、クラスの半分が空いたスペースなのです。

でも、今の学校は、転入等がなければ、基本的にその学年の人数は増えない。

余白がいくらあっても、埋まっていかない。
それって、社会の感覚からすれば、イレギュラーだと思うのです。

人数がいない!どうしようか!となるところが。
人数がいない、まぁ仕方がない、これでなんとか。みたいな思考にもなる。

ここが、なんだか変だなぁ、と今日感じた部分です。
具体的な解決策はあまり思い浮かびませんが、異学年合同にすることや、結局行きたい場所に、来たい人が来れる仕組みにしていくしかないのかなぁ。

余白があることは、まぁ余裕とも言えるのですが。
そこの扱い(埋めるのか、保持し続けるのか)を思考することが大切なように思います。

さて、学級に活かせそうなヒントとして、ツクルスクールでも行われている、クラス会議。

ツクルスクールでは毎日、短縮版。

あー、これ導入したいわ!と思う。

私自身、新しいもの好きというか、色々挑戦してみたいなと思うのですが。

今の朝の会の形式も、なんの面白みも新鮮味もなくて、、、

なら、その数分間くらい、朝ミーティングにしたらいいのでは??

今度、掃除から帰ってきたら円形になっておいてもらって、朝の会しながらミーティングしようかしら。

別に健康観察も先生からのお話も、円でやったって言い訳だし。

わーいいアイデアや、と思いながら聞いていました。

実際、3学期の学活でもクラス会議を取り入れ始めたい(正直いえば、来年度からの私の経験、実験としてどんなものかやってみたい。今のクラスならすぐ順応できそう)と思っていたので。いい機会ですね。冬休み中に学びます。

さて、あともう一つ。
私も訪問した時に感じたことですが。
ツクルスクールのこたち、会話が途切れないんですよね。

んー、でもこれ、ツクルスクールだから、というより。

多分、子供たちってみんなそうなはずな気がするんです。

『学び合い』みたいな形をとって、一日中協働していても。ある程度ずーっと話しながらやってるし。

やっぱり、会話によってコミュニケーションを図って、学級に所属しているんだろうなぁと思うのです。

そうなると、静かに!とか、話すな!というのは、どうなのかなぁと改めて考えてしまいますね。

さて、今回の会というか、こういう学びの場を通して。
現場に出たからこそわかることや考えることがたくさん増えたなあと思います。これは、大学生の時にはなかった感覚です。

また、「これ、明日(というか3学期ですが)からすぐ取り入れて、やってみよう!」という視点になるのもいい。

私の思考的にも、使えるものは全部使って、面白くしたい!という感じです。

面白い、というのはただ面白いのではなく、結局学級としてどこを目標としているのか。また、個人や集団として、学校を出た後の人生を考えて、どこを目標としているのかによって、変わってきますが。

やっぱり、学びの場はいいなぁ。
冬休みに入りますが、これからも継続していきたいものです。

一尾さんをはじめ、増田さんなど本当にありがとうございました!