今日の記事は二つ。
水曜日に参加した、「これからの保育と幼小接続を考えるセミナー」について振り返っていきます。
今回は、宮古島の幼小連携について、宮古島の教育委員会とオンラインで繋いでお話を伺いました。
そもそも、幼小連携については私自身知識が全くなく、しかし低学年等も担当する可能性がある中で、保育の変容とそこからの接続については理解を深めておくべきことだと思い、参加。
非常に学びが多かった会でした。
内容としては、エリアごとに連携する機会を密に取り、互いに保育園の参観・小学校の参観を通し、協議会を行うことでより良い連携のあり方を模索していく、というのが概要だと思います。
また、コーディネーターの配置によって、連携しやすい環境を作るということも行なっていました。
そもそも、自分のことを考えれば、確かに保育の現場に参観する機会は滅多になく、あっても業務等で参観することをしないな、と思いました。
宮古島の、紹介されていた学校は非常に恵まれた環境であり、小学校と幼稚園が隣接。
年長と1年生が合同で遊んだり、授業を行う環境が整っていました。
そういった要因もあり、スムーズな連携ができているようにも感じました。
また、頻繁な連携は、園の先生と学校の教員が関わりやすいムードも醸成していました。
今回の話を受けて、主に考えたところがいくつか。
まず、自由保育の話も出てきましたが。やはり、その形で送り出されると、今の小学校1年生の授業の形式とのギャップは、かなり生まれるように感じます。
5時間毎日きっちり座り、授業を受けることを求められる。
それは大きすぎる変化に思います。
当然、やる気を持って入ってくる子供達もたくさんいますが。
そういった単純な授業形態の不整合が、小1ギャップを生み出しているのだなと感じます。
他にも、幼保子・小学校・中学校・高校と教育において、子供たちが育っていく、大人になっていく姿で共通のものをを考え、そこにおける教育現場の立ち位置を踏まえて教育を行なっていく必要も感じます。
一貫して、どういう大人に育って欲しいのか、そのために今どうあるべきか、という視点が抜け落ちたり、ずれやすいなと感じます。
そうすることで統一性がない指導になり、混乱するとも。
各校種が連携し、そもそも学校だけでなく、地域も含めて連携し、どんな大人に育っていくのかを考える機会がもっと増えるべきだなと感じました。
フリートークやオンラインでのお話にもあったのですが。小学校の先生は幼稚園等にきて遊びを見た時に、どう見ていいのか分からない、とおっしゃっていました。
遊びから何を学んでいるのか、という視点に立てず、ただ『遊んでいる』と見とる。
見取りの力なのかなぁ、と最初は聞いていて思ったのですが、そうではないような気もしていました。
今回の会全体を通して思ったことは、学校現場がどこまでも『子供無能感』を持っている、ということかなと。
『学び合い』の子ども観は、子ども集団は有能である、ということです。
でも、おそらくですが、多いパターンとして子ども集団は無能である。
故に、教員が教えるべきだ、という考え方の気がします。
無能、というのは馬鹿にしているのではなく。能力がないからこそ、能力をつけさせなければいけない、という子供観なのだと思うのです。
だから、授業中や学校生活などでは、できるところよりもできないところを見取り、どうできるようにさせていくかを考えているような気がします。
私自身1学期はその傾向が強かったのですが、2学期に入ってそれをやめ、できるところに焦点を当て、ほめるをベースに授業や学校生活を構築しました。
そうすると、子ども集団の伸びは大きく、私自身のストレスも相当減ったように思います。
できないと思っているから、できない場所が目につき、それをなんとかしなければ、と感じる。
マイナスから入る、とも言えます。
逆に、保育の現場では発達の関係もあり、プラスのことが起こりやすく、よりそこに目を向けていくことができるのかな?とも。
だから、ただ遊んでいるのではなく、そこがどう学びにつながっているのか見取れる。
逆に教員側は、マイナスを探すので、ただ遊んでいる、と。そして、年齢的にそれは妥当か、と感じるのではないのかなぁ、と思ったり。
結局、園が公開を行ったりしていても、業務があったりして見に行けないということが多く起きているそうです。
これも、子供達を信じて任せれば良いのになぁと思うのですが。
そんな形で、今の教育について改めて俯瞰して見ることができたと思います。
課題は、どう子ども集団は有能であることを示していけるか、かと。
こちらもいろいろ画策していきたいところですが。
とりあえずまず、自分の学級集団を示していくのが一番良いなと思います。
次のブログは直江津の会。