今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

考えて動く

1700

昨日上越『学び合い』セミナーに参加し、考えることがいろいろあったわけです。考えたことについては、そのままFacebookで投稿しましたが。

端的に言えば、今自分が公立学校でやっていることが、本当に子供達に幸せにつながるのか、というところをもっと考えさせられたということです。

現状、子どもたちの学習に向かう姿勢は向上し、点数自体の変容も見られる中で。

また、集団として、大人になることを求め、今行動するべきことの価値や理由について語り続けてきたわけですが。

そもそも、大人にすることが、今の時点で本当に正しいのか、彼らは本当は自然に大人になっていく、その過程を、現状のカリキュラムが邪魔をしていないか、というところに悩み始めています。

思い出されるのは、瀬戸ツクルスクールの見学。
学習指導要領というカリキュラムにとらわれず、社会と密接に関わる経験によって自分自身を内省し、将来を描く。

その過程で、学習が存在し、直接それがモチベーションになる、というもの。

そういう小学校で存分に『子供』として生活し、適切なスピードで『大人』になっていく。

その過程において、思考し、内省し、自分を捉え、何が必要か考える。
そして、その方法の一つに、学習がある、という。

だが、現状はその方法を小学校1年生から押し付けている、という見方もできるわけで。

そうなると、大人になるように語る自分も、それで良いのか、というところは問い続けなければいけないなと思いました。

ただ、現状、公立小学校に通う児童たちだからこそ、カリキュラムは存在していて。

それらがどこまでも学習ベースだったとしても、やらなければならないとされているものである限り、こちらもそれベースにやるしかない。

いくら違うスタイルの教育があることがわかっていても、自分の立場と行うことを間違えてはいけない。

だけれども、と思う。

圧倒的に時間がない、ほぼ学校生活の全てが学習で構成されている彼らの時間の中で。

もし自分の手腕で、自分を見つめ、将来を描く時間がもっと取れたならば。
学習が先ではなく、自分のことを考え、先を考えていくその過程に学習がある状態にできれば。

そう思ったりもする。

だからこそ、ただ成績が上がってよかった!と満足するのではなく。
成績だけではない、彼らに『生きていくための知恵』や『展望』を。そして、自分を俯瞰する時間をもっととってあげたい。

大事なのは、まず子供達が『思考する』時間を増やすことだと思いました。

それは、一条校ではないところができるような、莫大な時間を用いて子供達が考える、ということは流石にできないけれど。

でも、日常の端々に考える時間は、ギリギリとってあげられる。
それが、公教育で自分ができる限界のような気もしています。

さ、そんなことを悩んでいたので、早速朝の会で子供達に共有。
自分が大学で見てきたいろんな学校や施設、教育の姿をもとに話しながら、そんな人たちと一緒に最終的には働いていくんだ、ということを語る。

みんな、自分の学校生活が当たり前の中で生きているからこそ、「そんなところがあるんだ!」と興味を持っていました。

その上で、1、2、3学期で自分がなしたいことを改めてみんなと確認。
1学期は分析と方針を作る時期。2学期で学力向上。ここまでは達成してきたね、と。

だから、残りの2学期と3学期では、『自分たちで考え、行動する』ということを行っていってほしい、という話をしました。

その話が終わった後の授業。
彼らは、自分たちで時計を見て席に座り、今教員から与えられている情報で判断し、自分たちが今日何を学習するのか予想を立て、教科書を開いていました。

今までは、これが必要、と事前に明記していたのですが、それをやめて。

でも、できるじゃん、と。

まず初めに、教員の指示待ちではなく、自分で考え行動し、その行動に責任を取る機会を増やしていく。

そして、時間があるときに将来について考えたり、それぞれの『自分って?』という問いに向き合う時間を作っていきたいと思う。

ま、そのためには授業も順調でなければならないのだけれども。

とにかく。

公立小学校にいる以上、自分ができることは限られる。
ならば、自分ができることを、自分ができる範囲で、限界まで広げて、行っていくだけ。

また、学ぶ意識を持って、自分の考えや環境に固執しない。
いろいろな道を提示できるだけの知識と経験を持つ。

それが、まず『教師』として自分ができる最善かな、と思ったりしました。

明日も、今日の反省を踏まえた語りをしたいと思います。

気づけばもう金曜日。
子供と自分。お互いwin-winで終われる金曜日を願って。