まだ一年も教員としてやり切れてはいませんが、これまでのことで感じること。
ぶれない軸と計画性。
教員になる前に、自分はこんな学級にしたい、という理想を固めていました。
もちろん、細かなものではなく、超大枠でしょうし、目指すべきところなわけです。
また、それらの理想が、その学年の一年だけを考えて作り出されるものではいけないとも思っていました。
目指す学級になって、何がその子たちにとって良いのか。
もっと言えば、社会に出た時や先の未来にどういきるのかを考えての『理想』だと思うのです。
さらに言えば、その理想は理想のまま終わるのではなく、絶対に達成させる気持ちで教育活動を組み上げていく必要があるものです。
そうやって、最終系が決まれば、そのための道筋が描くことができる。
それも詳細なものではなく、自分のマインドセットがはっきりするとも言えます。
自分がどういう心持ちでいれば良いのか、どう過ごしていればいいのか。
それを日常の習慣に落とし込み、自分は動いていく。
また、集団のレベル(ここでは、目標となる学級像において今の段階のこと)を見取り、次のレベルを示していく。
最終目標のために、いろいろな方法や考え方を試し、子供達が使えるものとする。
そうやって、子どもたち自身が使える『方法』を増やしつつ、考え方も定着していく。
それを、3つの学期で計画し、レベルアップしていく。
その2学期の分が、もう一ヶ月で終わろうとしている。
本当に試行錯誤の連続ではあったと思いますが、子供達は非常に頑張ってくれている。
もしかしたら。
2年目は、今年の半分でもいいのかもしれない。
最近考えたことがあります。
私は初任者でもあるので、1年間かけて学級を作って行っています。(当然、1日でも早く集団がレベルアップするための努力は惜しまないですが)。
ですが、一年だけでも、相当自分自身の言動や考え方が洗練されてきたのがわかります。
それこそ、大学で学び、考えてきたことが実践を通して、「こういうことか」と分かることも。また、それを活用して自分なりにどう展開するか、ということを考えることも。
そうしていくと、翌年にはより洗練された状態で。
翌々年には、さらに洗練されていく。
当然、思考をやめ、自分のやっていることに満足しきってしまうと、そうはいかないかもしれませんが。
試行錯誤をやめず、考え続けていけば。
いずれは、相当洗練されたものになっていくのではないかと思います。
そうすれば、確かに、1年どころか半年、一ヶ月、一週間で自分の方針や生き方を伝え切り、学級を作ることもできるのかもしれません。
そういった状態が、おそらく私が大学で色々みさせていただいた方々なのだろうなと感じます。
自分も到達するために。それが結局子供達のためになるので。
だから、思考も、試行錯誤も、やめない。『学び合い』の考えは心に、手段は多様に。
さて、いよいよ本格的に声がつぶれてきました。
コンビニで注文する時も一苦労でした。
金曜日に子供達に伝えていたことが本当になるかもしれません。
けれど、そうなったらそうなった時。彼らはできる。
私の声がなくなっても、字を見るなり、視線を感じるなりして、何もなくても動ける。
授業も、大丈夫。
こっちはとにかく、早く回復を。