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九月に入ってから、しばらく国語の授業で新聞づくりを行っていました。
自分の授業公開に合わせて単元を設定したというのもありますが。
授業公開をしたのは、見出しの付け方。
その後は、実際に新聞を作成していく過程に入りました。
誰に向けて作るのか、という話は全体で共有しましたが。
そこからは任せました。
班でとりあえず作っています。
方法は自由。
手書きでも、Canvaでも、pagesでも。
今日はその新聞の締切日でした。
色々な手法をとって作成してきましたが、どれも予想以上の完成度でした。
特にCanvaは共同編集はできるものの、重たかったりタブレットでの操作の難しさもあって、どうなるかと思っていましたが。
そこを班員で乗り越えたらしく、自分でも知らない機能を使ったりして完成度を高めてきました。
実際ポスターっぽくなるかなと思っていたのですが、想像以上に新聞。
そして、それらを班同士でみたりしたことで、自分たちの作っているものはまだポスターだ!もっと新聞っぽくしなきゃ!と言い合う姿が。
そういう互いから学び合う姿から、より深い学びや、今回の単元の「そもそも新聞って何?読み手を惹きつけるって何?」というところに知らずに深掘りしていくのでしょう。
他の先生方もできたものを見たのですが、すごく驚かれていました。
それはこの学年(年齢的な意味)で!?というのもありますし、Canvaでこんなの作れるの!?という驚きも。
じゃあ、教員として私は何をしたんだろう。
ただニコニコしながら椅子に座って全体を眺めていた。あとは締切を伝えたり、添削するくらい。
方法については、聞かれたらアドバイスはするけれど、こうしたら良い、ということはほとんど言わなかったはずです。
だからこそ、予想を超えてくるのです。
楽しくて仕方がない。
ゼミの師がいつもいっていたことを思い出した。
「俺はなにをしている?答えられないでしょ。」
そんな状態。ただ集団を信じて、任せる。より高次の目標を設定する。
目標設定も、いらなくなってくる。
そういう変化が、面白い。
算数は、今日は昨日のテスト返し。
大盛り上がりでした。
良かったことをしっかり褒めた上で、まだ全員でないことも伝える。
どこかで困っている人、わからない人がいるかもしれないこと。
それが結果的に、君たちの成長のチャンスにつながる、もしくはそのままであれば成長のチャンスは遠くなることを伝える。
今回の、努力をして結果を出した人たちにとって、すごく良い経験だったと思います。
故に、テスト返し後に5分ほど雑談のノリで授業をしました。
内容は、次の学習内容。
食いつきも良く、自然に疑問や考察、理由づけをし始めていました。
そこまでできれば、すでに次の単元の3、4時間分は達成です。
ま、そこをゆっくり、超反復を入れて確実に仕上げていきますが。
そうなってくると、一斉指導型も、自分も含めてみんなで楽しめる。
授業作りも、楽しくなってくる。
ただ教科書をなぞるのではなく。
あくまで教科書はベースにするのだけれども、発問の形を変えたり、扱う題材を身近なものにしたり。
何より、より高次な問いを投げかけたり。
そういうことなら、バンバン思いつくのです。
これが、子供達の様子を見て、授業中に教材研究をする、ということなのかもな、とも思いますし、教材研究を楽しんで行う、という意味も、わかってきた気がします。