今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

教師を主軸に置かない授業

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公開授業も含めて、自分が授業で意識していることの一つに、自分、つまり教師を主軸に置かない授業をすることがあります。

と言っても、完全にそれが毎日できているわけではないのでアレですが、意識したいところです。

公開授業もそうですが、子供集団を信じ、任せる時間を増やすことで自分がリーダーシップをとって進めない形の授業を目指しています。

それは『』の型もそうですし、班活動やペア活動、学級での話し合いなど全てがそうです。

自分はいつかその学級からはいなくなる存在です。
そこで、自分が主軸の授業をして。
その結果、子供たちが楽しい、わかる、という状態になって。

確かに一時的には良いし、教員冥利に尽きるでしょう。
それがきっかけに頑張ろうとする子がいるのも良い。

でも、自分がいなくなったことでそれが成り立たなくなるようなのでは良くないと思います。

だからこそ、いつでも、子供たちが再現できるような、そんな授業を目指したいし、そういう資質能力を育てたい。

だからこそ、授業での最終目標は、自分がいなくても授業が成立することです。
そこに適切な教材と集団があれば、なんとかなると思って次の学年に送り出すこと。

そうすれば、どんな先生が担任になっても問題ありません。

そうしていくための一歩めの声がけが、「授業をするのは誰?」の問いかけだったわけです。誰にとっての授業なのか。誰が頭を使って、誰が進めていくのか。

そこを少しずつ考えていって欲しいと思います。
ま、焦りすぎることはありませんが。

私の野望ですね。

もちろん、そこまでいくにはステップがあると思っているので、そこを段階的に進めていきたい。