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公開授業の準備も整い、すっきりした状態で終わった金曜日。
ここから三連休です。
休み明けには公開授業があるわけですが、そこもあまり気にせず過ごしたいと思います。
公開授業でうまくやるには、準備が8割だと思っています。残り1割が本番の全体のコンディション。もう1割が教員の柔軟性。
準備でほぼ決まる。
今回は、単元のど真ん中ということでそこまで調整しながらだったのですが、楽しみながら子供達と授業を進め、無事に単元通りに進ませることができました。これは子供達に感謝です。
さて、今日は少し違う話。
大体行きの車で朝何を話そうか考えて。帰りの会ではほとんど話さず次の日の予定くらいしか確認しません。
今日話したことに、自分が注意する、怒ることの基準の話がありました。
彼らは、基準について1学期を通してよくわかってきているとおもいます。それが行動につながっているとも。
逆に芯がブレるといろんなところで注意したくなります。
当然自分に余裕がなかったり、子供は無能であるという子供観であれば強く行ってしまうかもしれません。
また、普段そんな感じではなくても、偏見やそもそも持っている価値観によっては、気づいた時にネガティブな評価を下してしまったり、自己肯定感を下げてしまうことを言っているかもしれません。
この気づかないうちに、というのが厄介なところです。
私の授業自体、そんなに面白いわけではないですし、わかりやすいかと聞かれたらよくわかりません。子供たちもなんて言うかな。
でも、それでも先生の授業がいい、と言ってくれる理由に、「先生は怒らないから」と言うのがあるようです。
怒らない、注意しない、と舐められていっているわけではないと思います。
環境が荒れ放題なままなわけでもないです。
ただ子供達のことを信じ、できると思って次のより高次な姿を提示し続けているだけです。そして、それにどんな得があるのかも。
あと、そもそも怒ること自体こちらも疲れるのです。
それも子供たちにはいっていますが。
なので、今の状態の学級では、先生が子供たちに怒られることはありますが笑
でも、子供達に怒ることは基本ない気がしています。
今日は、先生がヤギに夢中すぎて、休み時間私たちにかまってくれないと怒られましたが。
元々そんなにかまっていないのですけれども。
それが大体クラスの総意なのも変な話です。
自分的には、全員にしてあげられないことはしない、と決めています。それは子供達にも今日も伝えました。不平等になるということも。
この前、たまたま流れで体育館で鬼ごっこをしてしまいました。
それも数人でした。残りはドッジボール。そっちも誘われたのですが、鬼ごっこ強制参加。
これはうーん、と思って、次の日はドッジボールに混ざりました。
そんな調整を、気づけばずっとやっている気もします。なので、その辺の不満も出ていないなと思います。
子供達から誘われれば、当然嬉しいですし行きたくなる気持ちはあるのです。
でも、目指すは自分がいなくてもつながる有機的な集団。
そこを目指して、2学期も少しずつ動き始めようと思います。
逆に、動かない場合もありますね。