1918
今日は1学期最後の授業参観と保護者懇談会
授業は特支の子も混ざりつつ、みんなでわいわいでいるもので授業を行う。
今回は、夏の楽しみ、という内容で、俳句や短歌を作る活動を行う。
保護者の方も、ぜひ一句どうぞ!と言いながら、みんなで俳句を考える時間になった。
班での活動や自由に好きな人と行う活動を盛り込むことで、いつもの学級の授業風景を知っていただく狙いもあった。
保護者懇談会では、主に夏休み課題の説明やこれまでの学級の様子について語らせていただく。
基本は資料を見ながら話を進めていったが、正直それではおもしろくない。
ということで、途中からは資料に載っていない、『ガチ』の話をする。
やっと1学期が経とうとする中で、自分の教育方針やこれまでの学級の雰囲気も含めてお話しできることがたくさんあったと思ったからだ。
自分がまず、何よりも子供たちの将来の幸せのために学級や授業を作っていること。
具体的な像として、「助けてがいえる」「助けることができる」能力を育みたい、というもの。
そして、実際1学期過ごしていく中で、これらのスキルが育ってきたことや、参観授業の場面なども振り返りながら、わからないことを人に伝えることができるようになってきたことをお話しする。
そして、学級のこれからの伸び代についても語る。
それに合わせた宿題というか、自学にしていることも。
全て、筋道立てて、自分の軸を話すことができたなと感じる。
保護者の方々も、資料から顔を上げて、多くの方が頷きながら聴いてくださった。
何より反応として一番大きかったのは、やはり「子供の幸せ」というところだ。
今日、職員室で話していて少し引っかかったこと。
「学校は、学力をつけさせる場所」という言葉。
本当に、そうだろうか。
結果的に上がることはあるしあったら良いものだと思う。
だが、いくつか思考として抜けているところもあるように思う。
一つは、学力とは何か、ということ。
二つは、学力をつけていった先に何があるのか、ということ。
三つは、学力を「つけさせる」という、言葉の主語が教員であること。
学力とは、本当にテストの点数だけか。理解度か。
それが数年後使えなくなっていたら?数十年後本当に必要か?
学力をつけていった先に待つのは、大人。
学力という物差しでのみ図られ続けてきた、大人だと思っている。
近年の受験の様子や就職率の話、離職率の話からも考えられることだが、本当に学習だけしていれば、いいのか。
そして、「つけさせる」ではなく、「つける」ではないのか、というところ。
主語は、子供自身が、のはず。
いろんな場所を見学させていただいて分かったこと。
学習を小さい頃からしようがしなかろうが、本人が本当にやりたい、と思った時にぐんと伸びるということ。
結局、本人が必要だと感じる環境を作れるか。
そんなことも、色々考える。
確かに、学習は課題ではあるし、もっと上がっていけば、授業実践としてもレベルが高いものにはなると思う。
でも何よりまず、その子が生きて、楽しく学校に来ていること。
人と繋がりを持ち、「助けて」「助けよう」と行動できる力を育むこと。
それらが、安心の居場所につながっていく。
そして、安心の居場所では、学級集団の雰囲気から、学習に対するモチベーションも上がっていく。
だから、今は種まきの時間。
集団的変化は、起こってきている。
ここから、全体的な集団形成、向上を。
とりあえず、あとちょっと、楽しくやるよ。