今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

問答

休日。
昨日の疲れもあってか、午前中何度も目覚ましを止めて寝てしまっていた。
ま、予定もなかったので、そういう日もある!

今日は、お昼ご飯を食べに行き、職場の先輩におすすめされた無印のテープを購入。

時間が余ったので、何しようかな、と思って。
先日、友人がヒトカラについて話していたのを思い出し、自分も行きたい!ということで久しぶりにヒトカラへ。
いいリフレッシュでした。

さて、ブログの記事にしていませんでしたが、実は先週?先々週から問答を行っています。

『はいどうぞ』の形でやる授業が増えてきたので、取り入れてみよう、ということで。

といっても、正直ほぼ毎日問答みたいなものです。

「先生はー」
「先生!」

いつもそんな感じ。

ただ、日常的に生まれるものではなく、しっかりと設定して問答を行う。
いろんな質問が出てきて面白い。

自分のことについてはもちろん、知識に関することなど。

問答が終わった後にも、「先生、質問!」と来て、普通に生き方について聞いてくる。

以前、道徳か何か、時間が余った時に話したこと。
将来の夢ってある?とか、これからどうなっていくか、みたいな具体的な話をチラッとしたことがあって。

その時は、みんなすごく真剣に聞いていました。
終わった後も、いろんなことを質問される。

結局、わかりきった教科の質問や授業よりも。

その人がどう生きてきて、何に価値を置いているのか。
そしてそこから考える、自分の将来のことについて、もっと知りたい、という欲求。
自分を、大人の一つのモデルとして見せていくこと。
また、自分がやってきたこと、今話していること、やっていること。
それらに、どう価値があるのか。価値があると思っているのか。

それを伝えることに、意味があると思いますし、子供達はそういった話を聞きたそうにする。

そんで教員になって思ったことですが、意外と自分のプライベートだったり自分の考えを伝える機会って、普通ないなって。

それこそ、普通に授業していれば、授業の話しかしないし。
道徳くらいかな、経験を語ったりするの。

そうすると、意図して語っていない限りは、自分の、一大人としてのことについて話す機会なんてない。

というか、むしろそれを話すのがタブーになっている気がする。

家族と話していて。

教員が自分のプライベートのことを話しすぎると、距離感が近くなりすぎたり、舐められるからじゃない?
と言われる。

確かに、普通はそう考えるかもしれない。
教員としての側面ではなく、人間としての側面を子供達に語って、出すということ。
それは、時には弱さを見せるのと同じ。
だから、そこを警戒するのかもしれない。

でも、ゼミの師は、全部出してたなぁ、と笑
別に、なめるとか、なめないとか、そういう話ではない気がする。

結局、集団と、管理者。
そして、一人の大人として、姿を見せていく必要があるならば、なおさら。

だからこそ、
自分の生き方が、ちゃんと見られて、語ってもいいような姿でなければいけないな、と思います。

不幸な姿、不誠実な姿、そういうものであると、それは全部伝わっていきますから。

だから、自分の生き方を、もっと高めなきゃなって思います。

子供達は、この短期間でおそらく自分よりも自分のことを知っている、時がある。
そして、ずっと、よく見ている。

この前は、給食の話をされました。

「先生、口ちっちゃく食べるんだね、リスみたい」
「なんじゃそれ。」

みたいな会話。

確かに、高校の時とかは急いで食べたりしていたので、早く、大きく食べていましたが。
お腹が痛くなったり、余裕がない感じになるのでやめよう!と決めて行動していました。

大学の時は、まったり、のんびり食事をとっていましたから。
それは給食でも同じです。ゆっくり、よく噛んで、しっかり食べる。

ま、そんな感じで、彼らはよく見ているわけですよ。

自分の言動は、全て見られている。
だから、言動の一致、誠実に生きること。幸せに生きること。

それを、ずっと自分が追い求めて、実行していくことが大事ですね。

さて、来週は新しい班になっての問答。

どんな質問が出るか。