今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

『』

教員になってから気づけば二ヶ月が過ぎていました。
一ヶ月過ごす中でいろんなことに気づき始め、二ヶ月経つころには確信に変わりつつあることがいくつか。

その中でも大きな確信は、自分が行う授業の限界です。

そもそも、集団になった時に話が耳に入っていかない層がいるのは集団の構造上当たり前です。
しかし、話を聞いてもらえなければ、授業は思ったペースで進められない。

それに感じるのは、自分の説明で理解できる人が思ったより少ない、という現状でした。

それに、音読をしたくても、教科書がそもそも開かれない、教科書を開くという指示が通らなければ、授業が始められません。

いろんな現状が見えてきて。

結局辿り着くのは、『』の実践でした。

教科書を開いて、音読する、ということが集団でできないのなら、そもそも音読しなければ終わらない課題を提示する。

漢字をあまり学習してくる習慣がないのならば、そもそも漢字をやらないと終わらない課題にする。

今では、国語、算数、そして今日から道徳と、私が持っている授業はほとんど『』になってきました。

子供達も、なぜ自分が普通の教える形の授業をしないのか、『』だったら何が良いのか、ということがわかってきた声が聞こえてきます。

結局、どこまでも「その人のペースがある」ということ。
また、ペースを合わせたい、と思う人はそれぞれ違うということも。

現状、勉強に前向きだった子供達は、より加速して学習に取り組むようになりました。教科書範囲で終わらず、プリントや発展的なこともやったりする時間ができました。

今までの授業であまりついていけない状態だった子供達は、自分でたくさん問題を解いてみる、という経験や、人に教えてもらいながら、「わからない」を伝える、という経験ができるようになってきました。

今や授業のほとんどは、そういう姿で溢れています。

今日、びっくりする姿がありました。
休み時間は、体育館が使える時はみんなで体育館に行くのですが、体育館が使えない日は、みんなバラバラなところで遊びます。

ですが、今日はみんなでグラウンドへ行って遊んでいました。

毎回の『』を見ていると、人間関係も少しずつ、変わってきているのを感じます。

道徳の、初めての『』はとても良い結果でした。

いつも私が主導で授業を進めていたものを、子供達に任せた形。
いつも板書して、挙手して発言を募っていた授業。
発問も、一枚のプリントにまとめて行いました。

結果。

自分が授業する2倍の速度でみんながプリントに取り組み、5倍以上の濃い振り返りや授業中の学びをしていることがわかりました。

通常の授業では拾えなかった、素敵なコメント。

毎回書かせている振り返りの文量も、いつもよりみんな多い。
結局、こちらが無駄なことをしないこともあり、子供達もたくさん書いて、向き合う時間がある。
また、人とやることで、討論の場面にもなる。

今日の子供達の道徳の感想は、すごく良かった。

教員は、口を開くだけ愚策である、のかもしれません。

授業中は、子どもの姿を見ながら、うろうろする。
けど、うろうろしていても自分に聞いてくる人はあまりいない。
なので結果的に自分の机に戻って、学級全体を見ながら作業をする。
そうすると、1日の授業の半分が作業時間に充てることもできる。

子供達にとっても、お誕生日カードの作成の時間に当てたりしながら、自分たちで時間をやりくりしている。
結局、教員にも、子供達にも自由度がある。

けれど、しっかりしなければいけないところはもちろんあるし、任せっきりでもない。自分がしっかりした軸で見て、生活しないとな、と思います。

さて。自由進度学習、程ではないですが、単元計画を子供たちに渡す。
中から、「先にやってきていいってことです?」という声が上がる。

さて、『』も魔法じゃない。
常に自分もアップデートしながらやっていきたいなと思います。