今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

怒涛の一週間

怒涛の一週間を過ごしました。
月曜日に新任式・始業式があり、子供達と初対面。
1日目から給食あり、6限後放課という、子どもたちにとっても教員にとってもなかなかハードな1日からスタート。
2日目には入学式があり、そこから発育測定だったり子ども会だったりと年度初めの大きなイベントの波が来ていました。

先週は、知らないことや事務仕事関係が非常に多くて苦労しました。
子供達が来てからも、事務仕事はやはり多いのですが、目の前に来たものをすぐ終わらせることで少しずつ手があく時間が増えてきました。

しかし、逆に学級整備や掲示などの時間を多く取るようになり、残業の時間は先週とあまり変わらない結果に。

その辺の改善も、少しずつ慣れてきているところもあるので、慣れてくる部分をもっと増やしていければいいなと思っています。

さて、最初の語り。
逆に自分のことを知らない子供達です。
すごく、見られているなということがわかります。
探られているとも言えます。

だからこそ、自分の言葉だけでなく、言動も含めて全てが自分を表すものになる。

だから、最初の語りというのはうまく伝えられずとも伝わっている人には伝わるし、これから伝わっていくものでもあります。

やはり強調したのは、「大人になる」というところ。
そして「助けて」を求められるというところです。

今回は、「一人も見捨てない」という言葉を使いました。

それがどのように得であるのか。
そういうことも、授業や給食の時間などを通して、少しずつ語っています。

やはり私の教育観では、学校は子どもたちが大人になっていく場所であり。
一人も見捨てない学級になることは、自分が生きていく上での幸せや得につながっている。
その上でどう授業や学校生活を送るべきかを考え、伝えていくのが自分の役割だと思ってます。

だからこそ、自分の願いや軸に沿って、色んな活動を価値付けていくようにしています。

さて、そんな中で一週間授業もしてみました。

忙しい最初の一週間です。入教のタイミングもなかなかなく、フルで一日授業をする機会も多かったです。

やはりぶつかるのは、一斉指導の難しさです。
ゆっくり、大きな声で、ハキハキと。

それは、できていると思います。指導の先生からも良いところとして褒めていただきました。
授業も、目標と授業が終わった後に身についていてほしいこと、学んでほしいことを意識して授業ができているため、形としてなんとか授業は成立している感じではあります。

ですが、私にとってその授業は20点ほどの感覚です。
なぜか。

見捨てているからです。

確かに、体裁的にすでにわかっている子が挙手をして、その子に当てて進めることはできます。
問題を解いてもらって、形的にできたようにすることも。

でも、どうしても引っかかるのです。
この、予定調和みたいな授業の形。

わかる子は最初に教科書のページを言っただけで目を通して理解し、問題を解き終えます。

逆にわからない、わかろうとする気力が、前年までに削られている子たちはページを開かないこともあります。

そんな状況下で、形状教科の指定された時間で、授業を進めなくてはいけない。

「これは、どこの誰にフィットしている授業なんだ?」

そう感じました。いや、授業をしている時にずっと感じています。
これは、何より自分が嫌で嫌で、先生になってなんとかしたいと思った授業でした。

わかっている子は、その授業を聞かずともわかる。
わからない子はどんなに先生の話を聞いてもわからない。

その中間層があまりいない。

なのに、先生の授業は中間層に向けて行われている。そんな授業。

自分は、それが本当に辛かったからなんとかしたかったのに。

自分でまたそれを繰り返すのか、という。

それを感じた瞬間から、不安と後悔とつらさが込み上げてきました。

木曜日には色んな案件が多く発生して、予定変更も多くあり。
自分の体力的にも一番辛い時でした。

そこで、おそらく一番得意にできる算数授業で、それを実感してしまいました。

その日の最後の授業は、学活で。
子供達もすごく楽しんでいたし、笑顔がたくさん溢れていました。
でも、自分の心の中はすごく辛かったです。

自分が嫌だったものを、同じように子供達にしそうになっている、という現実。
本当はその対応策を自分は知っているのにやっていないという矛盾。

子供達が帰った教室で、みんなに書いてもらった自己紹介文を眺めました。
四年生になって頑張りたいことの欄に。
「誰一人も見捨てない!」と書いてあるものを見つけました。

嬉しさと、自分の愚かさで泣きそうになったのをよく覚えています。
子供達にずっと伝えてきたことを、自分が一番できていない。
自分が、本音を隠した状態で授業することで、子どもたちを見捨てているのではないかと思ったからです。

その日帰ってから、翌日の算数の授業で『』をすることを決めました。
教科書ではなく、手書きの自作ワークシートを作りました。
本来授業で長々と解説するものは、一応全て載せておきました。

笑っちゃうくらいに、普通の授業を考えるよりも早くワークシートは出来上がりました。

そして昨日、算数の授業で実践しました。
最初に、まずしっかり謝りました。

「みんなに、一人も見捨てないと話しておいて、自分のこの授業は見捨てているのかもしれない。わかる人もいるけれど、わからなかった人もいると思う。
それが先生は何より辛くて。だから、君たちを信じます。君たちの力を貸してほしい。」

その時に出てきた、ありのままの言葉を伝えたつもりです。

そこからは、すごかった。
子ども集団の強さを、感じました。
子供達を信じて良かったとも。

やっぱり、私の願いは、「全員」に幸せに生きてほしい。
それが実現できる授業、学校生活を送れる環境を用意してあげたい。

自分の軸に反することは、辛い。矛盾も多くなる。
子供達は、多分そこまで気づくとも思います。

でも、自分の言っていることや願いと、実際にやっていることが一致しないのは、やはりうまくいかない。

『』は、決して魔法のような実践ではない。
問題も起きる、上手くいかないこともある。

でも、やらないより、よっぽどマシだと思っています。
何より、自分の軸や願いに、やっぱり従順でありたいと思うのです。

彼らならできると信じて、単元の最終目標を伝えました。
全員の平均点、最低点の引き上げについてです。

『』の授業後は、子供達はピキッとこちらの話を聞いてくれます。

もちろん、一回の授業で語れないこともたくさんあります。
でも、それはこれから伝えていけばいい。
それこそ、実習と違うところです。

自分の学級経営の軸は、やっぱり「子供達全員の一生涯の幸せ」にあります。
そのためにやれることをやっていきたいし、やらなくていいことはやらないでいいと思います。

さて。ということで恐らく来週からはどんどん取り組んでいく気がします。
最初は算数ですが、何は国語も。道徳も。

驕らず腐らずしたたかに、です。

さて、そうすると問題も結構あります。
学内の他の先生方は、班活動や動いての話し合いなど、アクティブな授業をしているのは恐らく知っていただけています。

ですが、色々と対策しておくべきこともあります。
そのために、二重の仕事をすることもあります。
『』の授業を作った上で、一斉指導の授業の板書を作って保存しておく、とかですね。

あとは、『』授業中板書したり、評価の基準を明確化したり、振り返りシートを作ったりと準備をしていく必要もあります。

でも、心はスッキリとしています。

来週は、気づけば初回の授業参観・保護者会です。
色々準備は必要ですが、何よりありのままの自分を見ていただきたい。

一週間の中でお電話させていただく機会に、何度も応援していただくことがありました。

保護者の方は、共に子どもたちの幸せについて考えてくださるパートナーです。
そこを忘れずに、誠実に来週も頑張っていきたいなと思います。