今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

バイバイ、自分。

なんと今日は2本投稿なのです!
もう3月も終わります。
次に来る4月は、自分にとって普通の4月ではない。
いろんな思いを持って迎える4月です。

卒業式の時にはあまり振り返らなかったのですが。
この区切りの日に、自分をしっかり振り返っていきたいなと思っています。
超自分語りで、ほぼ自分へのメモみたいなものになってしまいますが。


生まれてから、もう少しで23年経つわけですね。早いです。
生まれてから熱を出したりで病院に通って。
結果的に片方の腎臓が不形成。もう一方の腎臓も別の要因で機能低下。
腎臓病の状態でスタートした幼稚園。

小さい時からずっと家族が近くにいた一人っ子であり、親から離れるのを特に嫌がりました。

引っ込み思案は小学校中学年くらいまで治らなかったようにも思います。
少しずつ小学校で友達ができていく中で、仲のいいメンバーに混ざることで自分の素な姿を出せることが増えてきました。

小学校高学年になると、なぜだか本気で喧嘩する人がいて。
結果的に彼とはずっと友人ですが。
そう言う、自分を出せる場が増えてきたのが小学校の時でした。
総合的な学習の時間に力を入れていました。
自分の意見を、本当に大事にしたい。
そうして、六年生かな、上越をPRする御膳を作るとなった時に。
どう考えても桜でいいのに、蓮をPRしたがり。
周りに合わせて意見を変えようとしていた時にも、友人がサポートしてくれたこともありました。
六年生の卒業式では、卒業発表の台本を作ったり、人前に立って、話すことも増えたように思います。
少しずつ、先生ってこんな感じで見てるのかな?と思い始めたタイミングでもあります。

その頃に見た、「暗殺教室」というアニメが本当に面白くて。
自分もこんな中学生活送りたい!こんな先生や授業面白い!なんて言って、教職への興味が湧いてきました。

高学年ですると言われていた、腎移植も。
家族のサポートなどもあり、数値が安定しているからと、先延ばしになりました。
結局、そういう形で、低学年では高学年に、高学年では中学校で、中学校では高校で、高校では大人になってから・・・
そんな感じで、今も数値は安定しています。
本当に、家族に感謝です。

中学校に入ってからは、本当にいろんなことがありましたが、何より自分というものが形成されてきた時期でした。
級長や生徒会執行部、修学旅行の実行委員長だったりと、何かしらリーダーとして前に立たせていただく経験をする機会をたくさんいただきました。
級長会で集まっているときや、何かの行事で学級が一致団結するときは、本当に楽しかったなぁと思っています。
逆に、生徒会選挙は自分にとって辛い経験になりました。
学校全体が敵に見える、じゃないですが、先生・友人を含めて、誰が信頼できるんだ、そんな人間いない、というふうに思うようなこともありました。
その経験から、自分の能力に自信を持って、傲慢になることは失敗のもとになる、という考え方ができました。
今考えれば、傲慢になることは確かに良くないことですが、自信や自己肯定感が徹底的に折れたのが、このタイミングだったようにも思います。

中学校では、職場体験学習もありまして。
アニメの影響で先生という仕事に興味ありありだった自分からすれば。
「教育」の欄には、ほとんどが幼稚園の体験ばかりで。
唯一、一番下にあった「〇〇小学校」という部分は、とてもいきたい場所でした。
そもそも、選択は分野のみであり、教育にしか丸はつけられなかったのですが。
プリントにめちゃくちゃ小学校のところに丸をつけた記憶があります。

希望が叶って、一週間教育実習の、観察機関のようなことができたのはとてもいい思い出です。
今でも、子どもたちの写真やメッセージは壁に飾ってあります。
自分の原点は、ここにあるとも思います。

そこからは、先生になりたい!という気持ちばかりでした。
面白い授業は研究して、先生の話し方や教えるポイントを授業を受けながら体験していました。
逆に、教科書を見ればある程度内容がわかる自分。隣の子は、いくら頑張ろうとしても、先生の話を聞いても分からない。
授業中、隣の人に数学を教えることがありました。
この授業は、誰のためになってるんだろう?ということを感じ始めたのも、ここからです。

だから、教員になろうと思った理由を聞かれると、結構難しいのです。
アニメを見て興味を持ったから。
職場体験学習での学びがあったから。
授業の意味、価値がわからず、なんとかしたかったから。

いろんな理由があって、だと思います。
でも、こう考えると中学校で明確になりたい!という気持ちを持った気がしますね。

高校は、いろんな理由がありましたが、教員になれる一番最短の道を選んだ気がします。

教員になりたい、だから地元の教育大学へ行く!
そういう気持ちがありました。
そして、高校には、学校推薦?大学推薦?というシステムがあることを知りました。
要は推薦入試のシステムですね。
ですが、最初に聞いていた話は、評定平均が4.5以上の時にもらえる、みたいな。
なんかそうではなかったらしいのでびっくりなのですが。
その勘違いを多分、3年間?4年間していました笑

そういうこともあって、自分のモチベーションやテストの点数的に推薦がもらえる位置で3年間過ごしたい、というのがありました。
そういうこともあり、ある高校に進学しました。

高校進学後は、推薦のことがあったので、勉強か部活かという感じでした。
勉強は、結構面白かったということもあって、みんなと教えあったりしながらテスト期間中にやれたのがいい思い出です。

逆に、部活は本当に大変でした。
まずランニング。
体のこともあり、小学校の長い登下校をほとんど車で通っていたこともあり。
本来普通の人が備えている筋力や体力に大幅に届いていませんでした。

また、使えるコートが狭く、ランク制。小学校から週1でバドはしていたので、Aにはなれたのですが、なぜかメンバーが奇数。
自分より大会経験がある2人が未経験の2人とタッグを組むということで見事に余りました。
練習はコートが狭いので、もちろんダブルス練習が多くなります。
ペアがいなければ、何もできない。
コートとコートの間にあった小さな隙間で、一人サーブの練習をしたりすることもありました。

だから、タッグを組んでいる友人たちが喧嘩するのを見て。
喧嘩できるだけ幸せだよなぁと、苦しい思いをしたこともありました。

だから、というわけではないですが。
学級や授業の予定がない限りは、平日休日と誰よりも先に着替えてコートに降りて、ネット張りをしていました。
練習したい友人を誘って、練習時間が始まるまで練習に付き合ってもらったり。

そうして代替わりの時に、先輩方から部長として任されたのがとても嬉しかったです。
代替わり後は新しく後輩がA班に入ってきたこともあり。
自分のダブルスのペアも新しくできました。
後輩は本当に熱心な子で、ダブルスを組む上で私の得意なポジションとは反対のところを一緒に練習して。
練習や大会ではそれらを駆使して一緒に頑張ったのをよく覚えています。
その子には本当に助けられたなぁといつも思っていました。

結局、コロナ禍が見事に重なった三年生。
最後の大会もなくなり、受験勉強なども出鼻を挫かれる形に。

後輩たちに、何ができたんだろうなぁ、というのが、高校部活の心残りであります。

無事に推薦で大学に入ることができて。
とても前向きな気持ちで大学生活をスタートしました。
一年目は、部活動を頑張っていたのですが、体の数値の変化が出てきてしまったこともあり途中で辞めることに。

二年目は、大学で子供を招いて活動をする団体?が大変でした。
子供達のために何ができるか考え、必死にやろうとする自分でしたが。
その想いだけではうまくいかないこともたくさんありました。
集団からはたくさん浮いていました。
そこで、集団の構造についても納得する理由が得られました。

そんなこんなで、コース選択は終わり、12月には西川研究室に入っていました。
入った理由はいろいろありますが。
・誰一人も見捨てない、が良かった。
・『学び合い』や集団の理論がよく理解できるから。
・ゼミの雰囲気が良かった。
・ゼミで『学び合い』を実践していて、そこに浸れるのが良かった。

そんな理由がありました。

でも多分一番は、人と繋がる価値を知りたかった、だと思います。

中学校の時の大きな挫折。
そこから、自分を肯定するのは傲慢になるからと、自信をつけるのがあまり良くないというふうにも思っていました。
肯定するのは、残した記録、成果だけであって。
その過程は肯定するのに活用されない。

高校でも、一年目の。ペア練習ができない、ペアがいないという孤独感。

大学でもそうです。一人だけ頑張っているのではないか?誰も助けてくれないのではないか。
そもそも、人に任せるより自分でやった方が早いし、良くできる。

そういうふうに考えていたからこそ、「つながり」の価値を実感したかった、というのもあります。

今となってみれば、価値はたくさんあるわ!って思いますが。

結局、小学校の時はそういうこともたくさん感じて、体験していたはずです。
それを閉じてしまっていた、というのが大きかったのだと思います。
ゼミに入って、繋がる価値を感じて。
人に助けを求められるようになりました。

勉強ですら、自分でやるか先生に聞くか、しかしなかった自分。
同年代の人に頼ることは、多分ほとんどしなかったように思います。
気づいていないところで、頼っていたことはあったかもしれませんが。

それでも、明確に「助けて」が言えるようになったと思います。
「助けて」が言えるようになったから、人の「助けて」をより拾えるようになったようにも思います。

今では、たくさん人を頼っています。
主催する会だって、一人じゃなくて、みんなでやっています。

「人の力を借りて、自分の課題を解決する」
これの大切さが良くわかります。
自分が努力しなくていい、という話ではないということも。

自分はたくさん努力して。でもそれでもできないこともあるから。1人じゃ無理なことも。

それに、以前の自分はこうも思っていました。
人に頼ったら、自分の学びも減るのではないか、ということ。
人に頼らず、自分でやった分だけ、自分の力は増えるじゃん!ということでした。

確かに、成長はできました。でも、非効率でした。

人に頼って、人から学んで、それで自分「も」できるようになればいいだけでした。
頼ることは悪いことじゃない。そこから学ばず、頼りっきりになることが良くない。自分の成長に何も活かせない、ということがわかりました。

だから今はたくさん繋がっています。たくさん力を借りています。
借りながら、次は自分でできるように学んでもいます。

そういう点で、「本を読み、自分で考え、人と対話する」はゼミに入って、自分が一番大事にしている言葉です。

自分なりに言うと、
「学び経験し、自分で考え、人と対話する」
それによって、学びのサイクルは回り続けると思っています。

Facebookなどで繋がった方々。
自分からすれば、人生の大先輩がたです。
大人になったら、と言うかこれからの人生。
自分もこう言うふうに生きてみたいなぁ、という人がたっくさんいます。
そう言う人から学べる機会があるのも、繋がったからだと思います。

それは、いろんな場面で。
始まりはコロナ禍明けの対面上越『学び合い』の会。
越後『学び合い』の会。
群馬『学び合い』セミナー。

そこからは、いろんな『学び合い』の会や、授業見学、施設見学に行きました。
いろいろ学び、自分の見える世界がどんどん広がりました。
それは、はてなブログに書く文量を比較しても明らかです。

いろんな方とお会いして、話すことで。
自分自身も成長していくのがわかりました。

バレーのつながりだって、いろいろな学びをくれました。

こうして過ぎていった日々の中で。
大学生活最後に、自分の願いや軸、幸せを言語化できたと思っています。

自分の願い。
これから出会う子供たちに対しては。
ただ、幸せに生き抜いてほしい、死なないでほしい。それだけです。
だから、そのための学級にしたいと思っています。

社会に対しては。
誰一人も見捨てない、全員につながりがある社会。幸せな社会。

これらを実現するために、自分がこれからの人生で最適だと思った方法で行動していきたいと思っています。
それはもしかしたら、教師ではないかもしれない。
個人事業主や、会社を立ち上げたり、教授になって、先生を育てる、と言うことになるかもしれない。できるかどうかは置いておいて、ですが。
でも、そのために努力し続けられる人間でありたいと思っています。

じゃあ自分の幸せは何か。
いろんなところで発表させていただいたものは、
『人』と『学び』による『成長』だ、と。

でも、これも最近いろいろ悩んでいました。
『学び』による『成長』で幸せは感じるけれど。
『人』から得る学び、じゃない?みたいな。

そうすると人を自分の成長の足しに使っているみたいな、嫌な感じにならない?とか。
ま、友人に相談して解決したのですが。

いろんなところで、幸せを感じます。
最近の旅行なんかも、綺麗な景色を見たり、美味しいご飯を食べたり。

これ単体でも幸せって感じます。満たされているなって感じます。
でも、ここに『人』が加わると、より幸せに感じることに気づきます。

『みんなで』美味しいご飯を食べる。
『みんなで』綺麗な景色を見る。

きっと、いろんな場面によって、一人でいる時、人といる時で幸福のレベルは違う。

けど、多分だけれど。
やっぱり自分は、『人』といる時の方が、幸せのレベルというか、濃さが上がる。
それはきっと、一人で何かしたりしても『学び』は得られるから、一定の幸福はあるけれど。

『人』といると、『学び』はもっと増えるからだとも思ったり。

要は。
『人』と『学び』が自分の幸せの軸だ!と言い切るのではなくて。
日常にたくさん幸せは転がっていて、どれも満たされる、それこそ「足るを知る」状態になればもっと。

でも、『人』と『学び』があると、「もっと」幸せになれる!
そういう、濃さの話なんだなぁと最近思いました。

だから、いろいろやってみたいなと思っています。
一人でも、みんなとでも。

そんで、そんなことをしてれば結局学びがあって。
学びがあるってことは、成長している。

だから最近は。
幸せって、追い求めるものではなく、そこにあることに気づくことだなぁって
思ったり。

どこまでも『人の営み』の中で生き。
そこから『学び』。
自己の『成長』に繋がっていく。

それは、日常でたくさん溢れかえっているものです。
だから、探しにいくのではなく気づくだけで満たされる。

ここで、最近考えた、新しいこと。
この前までの思考は、
『人』『学び』→成長→幸せ!

こんな感じでした。

でも、少し違うなとも。
自己成長はもちろん嬉しいし、幸せを感じます。
でも、より濃い幸せを感じる時があります。
それがきっと、自己成長した分を、人に還元できた時。人のために何かできた時だと思います。

自分自身、恐らく超嫉妬深くて、人を羨ましがって、承認欲求も高めだと思っています。
でも、そういう自分もよく知って認めた上で。それ込みで。
人のために何かできた時。自分が成長して、それが役に立った時。
とっても嬉しく思います。

だから、新しく自分の幸せを言語化するならば。

・・・→日々の生活→『人』『学び』→『自己成長』→『ために生きる』『還元』→日々の生活→『人』『学び』→・・・

こういうサイクルになっているような気がします。

ということで、最近のまとめを合わせてするならば。
幸せの軸は、あくまでより濃く満たされてる、幸せだなと感じる基準であって、それが全てではないこと。
でもその基準をもとに、自分の幸せのサイクルは回っている、ということ。

新しい発見ですね。

きっと、これからも新しい発見や言語化が増えていくと思います。
それでいいと思っています。まだ人生は短くも長い。
とりあえず二十三年生きてみての感想的な感じですから。

さて。気づいた時には6千字です。長い。
でも、自分のことを振り返ることができました。

またどこかで、新しい学びがあった時にはかいつまんで振り返ることはあると思いますが。
まとまって20までを振り返るのはあまりないでしょう。

楽しく生きました。
これからも、たくさん楽しく、幸せに生きます。

大きな区切りです。

今まで出会ってくださった人、学びに感謝です。
家族や友人に感謝です。
自分にも感謝です。

バイバイ、学生の自分。