今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

寂しく…ない。

昨日は卒業式でした。
色々な思いを持って迎えた卒業式。
また卒業式で感じたことについてはブログ化する予定ですが。

卒業式、3月。
別れの季節です。

特に仲良くしてくれた、ゼミのメンバーやバレーのメンバーも、終了する人、卒業する人がほとんどです。

追いコンや写真を撮ったりしていく中で、やっぱり寂しさを感じてしまうというところもあると思う。

話していて、涙する人、もう会えないと思って、別れの言葉を紡ぐ人。
大勢います。

そこで、自分は非常に不思議な感覚を持ちました。

寂しく、ない。かもしれない。

そう、一瞬の別れではある。
ずっと一緒にいた人たちが、その場からいなくなる。

でも、特段の寂しさを、あまり感じなかったのです。

なぜか分析してみました。

その理由は、おそらく自分が毎日発信しているからだと思います。
例えば、自分が毎日に近い頻度でその日のこと、考えたことを書いたとする。
そして、相手も毎日に近い頻度でその日のこと、考えたことを書いたとする。

それは、もはや生存確認ではなく、その日あったことをお互いに見せ合って、毎日顔を合わせているような、そんな感じになる。

毎日の不安や辛かったこと、楽しかったことを共有する。

それができる未来があるから、あまり寂しさを感じないというふうにも思います。

たとえ、相手が投稿していなかったとしても。

自分の投稿を見てくれている、というのがわかると、なんだろう、物理的な距離は離れていても、心理的な距離はあまり離れたように感じないというか。

インスタのストーリーなんかは、見てくれている人もわかるので、自分からすれば意外と近くにいる感覚になります。

SNS投稿を始めて、いいところがたくさん増えました。
例えば、始めて会う人に、躊躇なくいくことができるようになったり、というのもあります。

これも、常に誰かに見られることを考え、その上で自分の心のうちを曝け出しているからです。

だからこそ、そう言ったことを恐れるというのが、少なくなってきているとも思います。

少し、話がそれました。

確かに、一瞬離れる、ずっとそばにいない状態にはなる、というのは寂しい。

でも、現代はつながる方法がいくらでもある。
残したいつながりを、残していくことができる。

そして、その人たちが見てくれている、というのもわかるし。
それがあれば、時には相手に連絡を取ることもやりやすい。

そんなところで、一瞬の寂しさはあれど。
でも、前を向き、次のことを考えていきたいと思います。

そして、そこで考えたことをどんどん発信していって。

大事な人が、大事なつながりが。
これからも繋がり続けていくことができるように。

新しい人に見てもらう、つながるという意味だけでなく。
大切な人たちとのつながりを繋げていくという意味でも、
投稿、発信の意義を感じました。