昨日は、高校入試の合格発表日でもあり、自分の塾勤務が最後の日でもありました。
おそらく、合格発表を聞き届けるという点においても、授業をするという点においても、今までで一番長い間塾にいた日になったと思っています。
その塾には、実は中三の時から通っていたこともあり、生徒として4年、講師として4年の計8年そこに通ったことになります。
勉強という面だけでなく、人関わるとはどういうことか、を学ばせていただいた場所でもあります。
今回の合格発表。
内容は詳しくは書きませんが。
それでも、色々考えさせられたなと思っています。
合格でも、不合格でも。
それで全てが決まるわけではない。
でも、不合格になってしまった時の心の持ちようは、今の社会では結構きついところがあるのも事実。
そして、合格できたとして。
その将来がどうなるのか、非常に難しい。
ゼミに入って、大学に入れば安泰の時代はもう過ぎ去ったことを知って。
非正規雇用の増加を考えて、ただ何も考えず、偏差値順に高校に送り出すことを躊躇ってしまうようになりました。
塾の授業でも、正直そうでした。
3年生から。もちろん、その子がその学校に行きたい、と望むのであれば、共に学習計画を立て、しっかり教えたつもりではあります。
でも、心の中は複雑です。
本当に、その先に幸せは待っているか?
それを見つけ、掴む手法を学んでいくことができる環境に送り出してあげられるか?
なんのために、勉強を教えているのか?と。
スムーズに大学に、高校に上がるためだけの学習を教えている時には、とても虚しい気持ちになります。
だから、気づいた時には、問答、というか。
「教える」ではなく、「対話」を重視する授業スタイルになっていました。
対話する中で、本人の希望を言語化できるようにしたり。
将来のこと、今の社会のこと、大学、高校について、なるべく伝えられる時に、伝えるようにしてきました。
自分の個人情報を言ってはいけないので、その辺はぼやかしつつ、自分の幸せのモデルも語りました。
そうすると、面白い結果が出る。いや、悲しい、かもだけれど。
真面目に予習して、必死に教え続けていた授業の時よりも、対話に時間の半分、残りを集中して授業のポイントを教えるやり方にした後の方が、子供達の理解度、点数の伸びが良い。
最初の2年と比べて、残りの2年の方が、子供達の成績の伸びは圧倒的でした。
それは、嬉しさもあります。
単純に、コミュニケーションによって生まれた信用がそうさせたかもしれません。
話が経験によって要約されてきたからかもしれません、
講師としては、嬉しい限りなのです。
でも、悲しい。
そうすれば、どこまでも、「勉強」をやった方がいい、これからもやっていく、それでその先へ、、、と考えることができるようになってしまうからです。
悪いとは言わない。
選択肢が多いこと、今の学校で生き残る手段として、勉強ができることは、確かに良いかもしれない。
そうして、多分この二年間。特に最後の一年は、ずっと迷いや悩みを持ちながら塾に行っていたようにも思います。
もう一つ、引っかかっていたこともあります。
教師に、その子、その事を変える力はない。
ゼミに入って、すぐに突きつけられた言葉であり、事実でした。
どんなに仲良くなっても、業を背負うことなどできはしない。
それは、塾での子供達に対してもそうでした。
ゼミに入るまでは、いろんな話を聞いて、受け入れて、一緒に悩んで。
そういう、先生っぽい、先生をしていた気がします。
今は多分、決して深追いはせず。
来てくれたことに感謝しながら、そこでできる、精一杯を、やる。
そういう、「友達」的な関係ではなく、「生徒」と「先生」という関係を維持したまま、来たと思っています。
だからもしかしたら、辛い悩みを相談したかった人もいるかもしれない。
一緒に背負って欲しかった人もいたかもしれない。
でも、話は聞くけれど、どこまでも一緒に悩んだりすることはできなかった。
だから、そういう距離感が良くて、本音で話してくれた人もいる。
そうでない人もいる。
結局、その人との相性もある。
そういう、個々の関わり方について、学ぶことができたのも、勤務していて良かったことだと思っています。
結局、ゼミに入った後の2年は、ずっと学んだこと、理論を実践する場として塾があったようにも思います。
本を読み、自分で考え、人と会話をする。
このサイクルを回してあげる、伝えるだけで、そもそも点が上がる子も多くいました。
そうやって、自分が学んで、実践して、よかった事を伝えていく。
そして、勉強だけでなく、学ぶとはどういうことか、生きるとはどういうことか。
幸せはそれぞれ違う。
西川先生と、自分のもそうだし。子供たちもそう。
だから、それを考えられる状態にしたい。そこまでは、持っていきたい。そういう環境に。
さて。最後に、ずっと心残りであり続ける、ずっと気持ちとして持ち続けなければいけないエピソードがあります。2つ。
一つは、塾に通っていた、中三の時のことです。
ずっと一緒に先生になろう!と言っていた人がいました。
行こうと思っていた高校も、同じところで。
受験までに、勉強を教えることもありました。どれくらい、教えてあげることができたかは、覚えていませんが。
最後まで、勉強を、見てあげることができればよかった、最初から共に勉強して、受かるまでの点数の状態にすることができればよかった。
そう思うことが何度もあります。
その人は、結局合格することができませんでした。
その後、私立の高校に行って。
色々ありました。定期的に交流はするのですが。
最終的には、教員になる、という道を諦めてしまった。
本人は、諦めた、という言い方はしないのかもしれませんが。
そのまま行っていれば、今でもお互いに学び続けることができた教員になっていたのかなぁ、なんて思ったりして。
もう一つ。これは、自分が塾に勤務して2年目のことです。
相性良く、よく懐いてくれていた子、と思っている子がいました。
いよいよその子が受験になる、という年になりました。
自分が入学して、もう一人が落ちてしまった、あの高校を志望する子供でした。
まだゼミに入っていない時です。
自分の力で、全てなんとかすることができる、一緒に背負って頑張れる、と思っていた時です。
おそらく、自分ができる最善を尽くしました。
予習も完璧にし、まとめノート、勉強計画を作り、徹底的に、なんとかしようとしました。
それはきっと、過去の記憶があって、なんとかしてあげたい、と思ったからです。
その子は、すごく頑張りました。最後まで諦めなかった。
でも、うまくはいきませんでした。
以前書いたブログ。
集団には262があるとすんなりゼミに入って思えたのは、それまでの経験、大きな辛い記憶があるからです。
今回は、「教師には、その子、そのことを変える力はない」を、受け入れることになった、大きなエピソードの一つです。
どんなに相性が良くて、理解ができて、全力を尽くせても。
それでも、「つもり」にしかならない。
知ったつもり、理解できたつもり。
そして何より。
別の道を、選択肢を与えることも自分にはできなかった。
知らなかった。
そういう、今の西川研究室で学び、理解を深めるに至った、原点といえるものが、塾にはありました。
本当に、いろんな事を学ぶことができた場所でした。
最後は、残り一年を一緒に働いてくださった方々に、一人ずつお礼をして塾を後にすることができました。
本当に、ありがとうございました。