さて、昨日のつぶやきはブログ化しませんでした。
もう夜も遅いので、書くのをやめようかとも思いましたが、しっかり書きます。
端的にいえば、私の新しく見つけた『夢』についてです。
少し長くなります。
先に結論だけ。
それは
『寂しさ・辛さ・悲しさをたとえ感じたとしても、それを分かち合い、励まして隣にいてくれる人、繋がりがある社会を作ること』
と言えそうです。
もっと要約すれば、
『感情や状況を共有できる人が、全ての人にいる、そんな繋がりが持てる社会を作る』
とも言えますね。
さて、めちゃくちゃ壮大なことになりました。
こんなことに思い至るまで、いろいろありました。昨日のことは、とても大きかった。
まず一つに、自分がずっと掲げてきた夢である、「教員になること」が、もう少しで達成されるからです。
小中高と教職に興味を持って、それになるためのルートを考えて努力してきたつもりです。
そして、それが教採や卒論を終えることで、実際に叶うところまできた。
じゃあそのあとは?と少しずつ考えていたと言うことも理由です。
もう一つは、昨日のエピソードです。すでにゼミでも共有したことなので、書いても良いかと思います。
昨日の卒論発表会は、以前までの形式と異なり、ゼミ生同士が離れると言う事が起こりました。
我々の研究室は、今年で終了です。
なので、後輩もいません。
他の研究室は、多くの後輩や、院生さんが押し寄せ、ねぎらいの言葉、励ましの言葉を掛け合っていました。
我々のゼミは、、、
おそらく、その時は気づかなかったのですが。
寂しい、羨ましい、と言う感情があったのだと思います。
寂しさは、他者を羨む気持ちを持ち、時には相手への怒りになって。
最終的には、不幸になる。
幸せとはそこから最も遠い位置にある。
そう言う事があって、昨日はずっとモヤモヤしていました。
だからこそです。
子供達に幸せになってほしい。それを通して、もっと多くの人が幸せになってほしい。
じゃあ具体的には?と考えた時、今回の経験がつながりました。
幸せの反対にあるものは、寂しさではないか。
それを補うには、『人』『つながり』が大事だ。
そして、それを保証できる『社会』がいる。
その時点で、教員として、『学校』だけでなく、『社会』に対して働きかける必要性を感じました。
結局、全て繋がっていました。
公立学校の授業見学だけでなく、フリースクールなどに行ったことも。
自分自身がいろんな人の心情を理解しようとしてきたことも。
『学び合い』を学んだことも。
自分の幸せの軸である『学び』と『人』
自分を構成する核である『自他の成長』
教員として、一社会人として行動していきたいこと。
それらが繋がって、新しい夢になる。
そして、それを叶えるには結局一人では無理なんです。
たくさんの人の力がいる。
だから発信するし、伝えるし、行動するんだと。
だからこそ、今日ははじめの一歩だったと思います。
今日、ゼミの方々にお話しする時間を作っていただいて、話をしました。
実は、寂しかったこと。
『学び合い』の集団であるはずなのに、自分のことが終わったらそれで終わりになっていないかどうか。
逆に、相手を、集団を巻き込んで、一緒に考えるような行動をできていたかどうか。
残り一ヶ月と言う短い時間。
ゼミ集団から関係を切っても、その時点での損はないかもしれない。
でも、この先ではどうか。人の力を借りることはないのか。
そして何より。
同じことが自分の学級で起こった時に。
今と同じ回答しかできないままで、本当に良いのか。
そう言うところでこそ、今ここで考える必要性、意味が出てくるのではないのか。
そんなお話を、させていただきました。
話終わった後。
自分がどう集団を見ているのか、どう考えていたのか伝わった、と言ってくださった方々。
何も言わず。
でも最後の仕事、みんなでできる最後の仕事である研究室の片付け。
それをすぐに動き出して一緒にやってくださった方々。
嬉しかった。
結局、先生にも今日のゼミで質問していて。
話し合って、決める。
そう言う話し合いが、事後に起こるのは当然だ。
最初から管理者がいってしまえば、それは強制になる。
自己選択でもなんでもない。
だから、選択し、考えた後に、みんなで考え、深めることが必要。
だから、事後なのだと。
話してよかったと思います。ゼミ生の方々にもですし。
何より。
「昨日、実はこういうことがあってモヤモヤしてたんだけど、、、どう思う?」
と、相談し、すぐに話を聞いてくれた、共に発表会を乗り切った同い年のゼミの仲間たち。
そう言うふうに、素直に相談できるようになった自分の成長を感じながら。
仲間たちに、心の底から感謝した日でした。いつもありがとう。
そして。自分の新しい夢を叶えるためには、人の力が必ずいる。
頼ります。たくさん。
自分でも、努力を重ねます。
そして、叶えます。