先日、新潟市立鎧郷小学校の「鎧っ子アップグレードスクール」の見学に行かせていただきました。
というのも、以前行われた「明日の教育を考えるフォーラム」で、鎧郷小学校の校長先生である、坂井純校長先生とお話しさせていただく機会があり、そこで学校を紹介していただきました。
また、フォーラム主催者の金井先生とお話しし、共に今回学校見学に行かせていただくことができました。
本当にありがとうございました。
学校見学だけでなく、道中での金井先生との対話、坂井校長先生との対話でも多くのことを学ぶことができました。またそれも記録していきたいと思います。
<道中会話>
小学校への往復は金井さんと共に。
約半年前は、金井さんによく誘っていただいて、群馬や静岡、長野などいろんな場所に行っていたことを思い出しました。
卒論の話や、ゼミでの話、最近勉強しているお金の話など、たくさん聞いてもらいました。
実際に働き始めた後のお金の使い方、投資の方針なども話したりして、ある程度今後の見通しが立てられたのがよかったなと思っています。
後は、睡眠時間についても。
最近は、教員として働き始めた後の生活スタイルを意識しながら生活するようにしていたのですが。思っていたよりも就寝するのが早い!
自分も一度、自分に適切な量の睡眠時間を計測してみようかな?と思いました。
方法として、大学生の今なら、夜一定の時間に寝て、何も気にせず寝れるところまで寝てみる。
その後、それを数日繰り返し、安定してきた睡眠時間こそ、本来の自分に必要な睡眠時間。
大学生で時間がある今だからこそ、本当の自分に必要な睡眠時間を計測しておくのもありだなと思ってきました。
<今回のシステム>
最初は、鎧郷小学校の説明、今回のアップグレードスクールのお話などを聞きました。
子供達のテーマとしては、「互いに違いを認め、みんなが幸せになる一日を創る」こと。
先生方のテーマは、その活動の中での3C(後で紹介させていただきます)を発揮している子供達を見とる、価値づける、コーチングする。
方針としては、基本的に1〜6年生が混ざった班があり、それが各教室に割り振られていて、それぞれの大班で活動する、という形。
言ってみれば、縦割り班での活動を、遠足などのイベントではなく、授業などを1日通して一緒に行うというイメージ。
私が小学生の時にも縦割り班はありましたが、遠足や昼休みに交流はあれど、一緒に授業をしたりするのは、なかったなと思いました。
そして、各授業の方針と、いろいろなルール、1日の予定などが各教室に張り出されていて、先生方もその学級にいる、というような形でした。
見学させていただいたのは、2〜4限だったのですが、
基本的には
1限 体育に位置付けた、「異年齢遊び」
2限 国語に位置付けた、「哲学対話」
3限 各々の課題を行う、自己調整学習としての「学び合い」
4限 国語の時間に位置付けた「振り返り対話」
という予定になっていました。
<鎧っ子アップグレードスクールの概要>
1限にあたる時間では、主に概要の説明を受けました。
日本の現状から、大人になりきれていないと感じる人たち、自己肯定感の低さ、社会人としての認識が、各国よりも低いというデータ。
そういうところから、子供達全員が、「学校が楽しい」と感じる、自分の成長を実感できる、そういった新しい学びのプロジェクトとして始まったそうで。
つまり、与えられる教育・他人事・異質なものの排除・インプットの形から自ら創り出す学習・自分ごと・互いの違いを認め合う・アウトプットの形へ・
自分をUPGRADEする、ということが重点目標として掲げられ、子供達、教職員に常に共有されていました。
中でも、重要なことを3C(創る、関わる、挑戦する)とし、それを中心にしていくという方針。
これは、廊下や各教室のところに目標として張り出されており、全員がわかるようになっていました。
以前、ゼミの師にも言われたこと、
「学校の教育目標が、子供達や教職員がわかっていない、、、」
やはり、学校全体が同じ目標を認知し、それに向かって活動していくことが重要だと思いました。
説明のお話を聞いて。
現状の大人たちの姿。自立できていない、という部分。
でも、本来子供たちには自立する力がある。
むしろ、それを妨げてしまったり、過保護に手助けしすぎているという面もある。
全てお膳立てされた授業、学校教育は、成功体験は積めるかもしれないが、失敗の経験も、成長の経験もさせてあげられないのかもしれない、なんてことを思いました。
結局、学校はどこまでも社会とリンクしていなければいけない。
送り出す先と全く違う世界では、意味がない。
<2限 哲学対話>
2時間目の時間は、国語の授業に位置付けた哲学対話でした。
その前は休憩が挟まっていたのですが、意外とクラスを行き来して友人と会いにいくというわけではなく、割り当てられた学級で班のメンバーと過ごしている姿が多く見られて。
単純に、班内での関係性がそう言ったところからも見られるようでした。
先生方も、しっかり教える!と身構えた感じではなく、事務作業をされている方や、子供達と話している方、一緒に動画を見たりしている方など様々です。
授業が始まると、大班でその時間に話し合いたいテーマを決めているようでした。
テーマは以下の感じ
1なんで勉強するのか
2ルールって本当に必要?
3嘘をつくのは悪いこと?
4友達ってたくさん必要?
5かっこいいって例えば?
6なんで夜は怖いの?
などなど。
どの学級に行っても、問いは同じ。
選ぶものが異なるという感じでした。
どれにするか悩む子供たち。
決め方はいろいろでした。
多数決で即決な場所もあれば。
一人一人に選んだ理由を聞いているところもあって。
今回は、ファシリテーター役が5年生ということもあり、協力しながらみんなで進めているという印象でした。
その後はそれに関わるNHKの動画を全員で視聴する。
その動画も、みんなで決めたことだからなのか、形は自由に座っているのですが、みんなある程度集中して動画を見ていて。
普通の授業内の動画だと、見てない子供たちがいるのは意外と当たり前かなと思っていたので、面白かったです。
その後、問題提起的に動画を活用し、動画視聴後は子供たちは円になって、そのテーマについて考える。
中でも、決めたテーマの中でもさらにテーマを決めて話し合いを行なっていました。
例えば、かっこいいって例えば?というテーマから派生して、かっこよくない行動って何?ということについて話し合ったり。
そこはファシリテーターなどが決めていったように思います。
基本的に、先生は介入せず、子供たちの中で誰が話すのかを決め、話している人は何かしら道具を持って、みんなそこを見るという形。
<子供達は有能である>
ある学級では、「お金で本当に幸せになれるの?」という難しい問いについて話し合っているクラスもありました。
1、2年生は難しいかな、と思ってしまうような場面ですが。
関係なくみんな話しています!
異学年『学び合い』の勉強をする中で、そう言った場面があることは知っていました。
でも実際に見ると驚きます。こんなことを考えるのか、と。
結局。この問いは難しいかな、と思ったとしても、所詮それはこちらの尺度でしかない。
子供達は有能である。
考えつく子もいるのだ。
だから、「考える力がない」とそう判断するのではなく。
それが引き出されるタイミングがない、と考えることができれば。
必然的に教員側が何をするべきなのかが見えてくる気がしました。
機会を作っていく、提供していくこと。それができることだなと。
あるクラスでは、なんで夜は怖いの?という問いについて話し合っていました。
おばけや暗いから、という意見の中に。
明るいから、安心する。脳に関係してる?なんて発言する子もいて。
光と心理状態を自分の経験から結びつけて考えているのが素晴らしい。
また、ファシリテーション能力の高さにも驚かされます。
ただ意見を聞くだけでなく、理由を聞き、それを分析し、また新たな意見を求める。
そのサイクルが綺麗に回っているのがすごい。
何度かこういった授業をやっているからか、先輩の姿を見ているからかは分かりませんが、各班それぞれで、しっかり子供自身がファシリテーションしているのがすごいなと感じました。
<異学年・異年齢の重要さ>
全体の学級を見る中で、異学年での重要性に気づきます。
異学年、異年齢だからこそ、難しい言葉をさらっと使う高学年の子どもたち。
普通ならそれで通じるところが、そうもいかない。
低学年の子達は、聞いてポカンとしている。
それに気づいて、意味を付け加えたり、詳しく説明したり。
あぁ、こうやって、子どもたちの中に共通言語を増やしていったり。
そもそも、「伝える」とはどういうことなのか。「伝わる」とはどういうことなのか。
それを体験して、自分を振り返って、これからに活かしていくのだなと。
これは、普通に共通言語が出来上がっている同学年、同じクラスの子達との会話だけでは発生しない現象。
でも、社会に出れば当然あたる壁です。
それを経験できるのが、良いなと。また、異年齢での活動の大切さだなとも感じました。
<授業を見るということ>
授業見学に行かせていただく中で、いつも感じることがあります。
自分の見取りの能力を、もっとあげたい、ということです。
私の感覚の話ですが。
「授業を見とる」ということには、見とる側に経験や視点の器がなければできないなと。
自分の経験、課題感、見とる際のポイント。
そういうものがなければ、わーすごい授業、という感覚しかつかめません。
何がすごいのか、何が違うのかを認識できない。
自分は、とりあえず、表面に現れる現象を言語化したり、先生の行動、子供の行動、そこのつながりを分析したり、あとは、自分が授業したり、学校を運営する立場になった時にどう生かせるか、どこまでできるのか、再現するには何が大切か、というところを見取りたいなと思って見学させていただいています。
ま、できているかはさておき。
もっと力を伸ばしたいなと思います。
それは、たくさん授業を見ることもそうだし、自分で実践する中で広がるものも多いと思います。
先生になった後も、できればいろんな方の授業を見たい。
<先生の関わり>
さて、これは少し書くか悩んだことですが、見ていておもしろなと思ったところだったので。
基本大班では子供たちのみが話し合いをしていて、先生はそれを見とる、あまり話しかけている様子はなかったです。
逆に、話しかけにいく先生もいらっしゃいました。
面白かったのはそこ。
話しかけた先生は、グループの一員となり、どうしてそう思ったの?本当に?というように、気づいたらファシリテーションをしています。
子供から出る発言や、視線は、グループではなく先生に向けられたものになっていました。
これは、『学び合い』でもあること。
先生が介入することで、他の生徒はその先生に頼る。何もしなくなる。
今回、先生が一切介入せずに話し合っていたグループと、そうでないグループを見させていただきました。
非常に違いが顕著にでている。
先生が一切介入しなかったグループは、子供がファシリを行い、発言する子供たちの視線は、円になった子供達の顔を見回しながら、発言する内容もその顔色を見ながら、言葉を変えていました。
つまり、円の中心を基本的に視線が通るようになっている。
それに対して、先生が介入したグループでは。
まず、ファシリの役割をしていた生徒がなりをひそめ。
子供たち全員が、先生を見ている。
発言している子供の方ではなく。
また、発言している子供も先生の方を向く。
面白い違いだな、と感じます。
それだけ、先生には力があるし、能力もあって、頼れる。
お膳立てできる位置にいる。
そこを、どう待てるか。待つことを、成長を、どう楽しめるか。
なーんてことを、学生の身でよく分かりませんが、考えていました。
もちろん、いろいろな価値観があるので、批判では一切ありません!
しっかりと学びになりました。
<委ねるということ>
今は『学び合い』だったりを学習する中で。
先生が教えるよりも、子供たちが学びあった方が、効率も良く、意欲も高まることがよくわかっています。
そして、自然にその考え方は当たり前になっていました。
けれども、そもそも。
「委ねる」とはどういうことか、どうなってしまうのか。
そのイメージがつかない人もいる。
当然、自分たちが受けてきた授業をベースに考えるからこそだと思います。
手綱を離すのは、非常に不安です。
だから、システムとして、とりあえず委ねるシステムを全体で共有してみると、新しい視点が学べたりする。
もう、わかんないけど、どうなるか知らないけれど!
学校が責任取るなら、もう委ねてやってみよう!
そんなふうになって、子供達に委ねてみると、意外とうまくいくものです。
ま、子供たちは有能ですし、明確に子供、はいない。
だから、やったことないから不安だし、怖い、だからやらないし、やっているのも良くないと思うのではなくて。
わかんないけど、とりあえずやってみる、なんていう政策があれば。
それを保証できる学級や学校なら。もっと子供達の凄さに気づけたりするのかな、なんて。
<学び合いの授業>
3限は、自己調整学習として、それぞれが自由に教科の課題を持ち寄って、大班で机をくっつけて学習をする。
図工をやっている子もいるし、算数のテストをやっている子もいる。
漢字ドリルの子もいれば、タブレットで活動している子も。
様子も、班によっては教え合っていたり、静かにやっていたり。
<個別最適化されすぎ?>
タブレットを使って学習している様子を見ると、個別最適化されすぎていないか?と思うことがあります。
個人の学習スタイルは多様で良いと思います。
ただ、同じ学級にいながら、みんながタブレットに向かって何かしている状態は、少し変だと感じてしまう。
別に、家なら良いかもだけれど。
せっかく仲間がいるのに、協働が生まれないのは寂しいし、やっぱり変な感じがするなと。
教科がバラバラなのは非常に面白いなと思いました。
ただ、やはり教科が同じになっている時の利点もある。
別教科だから、教科内容を聞きづらい場合もあるのかもしれない、なんてことも思ったりしました。
<感じる疑問>
さて、3限になって、クラスをいろんなところを見させていただいて。
少し気になったことがありました。
2限よりも、子供たちと目が合う頻度が高い。
特に入室時。タブレットを構っている子供たち。
これは予想ですが。
集中している時、一斉指導でも『学び合い』でも、子供たちと目が合いにくい。
なぜなら、子供たちはプリントや課題、友人と目を合わせるのに集中しているからです。
逆に、目が合う理由は。
内側の自己学習を行っているように見えて、実は外の雰囲気にとても注視しているからではないか?ということです。
特に、タブレットを構っている子供たち。
課題をやっていたり、教え合っていることは目が合いません。
また、タブレットをパタンと机に置いて、みんなが画面を見える形でやっている子は、周りの子が覗き込んだりで目が合いません。
逆に、タブレットをたてて、アプリをやっている子供たちとは目が合う。
もしかしたら。明確に目標を持って活動をしている、というよりも、時間が流れるのを待っている、のかも。
分かりませんが。
なので、何を学習しているかわかる、手書きのノートや教科書を開いて学習する、というスタイルは、実は周りに何をしているか共有していることにもつながっていて。
個人で学習しているとしても、周りが気づけるシステムになっているのかなんて感じて。
そういう、ノートとペン、じゃないですが、そういうのも大事だなって。
つまり。
自分で選択して、一人で学習に向かうことに価値はあると思います。
でも。
一人でしかできないから、一人で学習に向かうこと、そういう状態でいることには、価値はない、そんなふうに思います。
<校長先生との対話から>
少し時間がある時に、坂井校長先生と控室でお話しさせていただきました。
来年から働く身としても、学べることが非常に多かった。
うまくいく集団として大事なこと。
「結果」よりも先に「関係性」を。
結果を求めると、関係性で引っ掛かるけれど。
関係性から先に作ることで、結果がついてくる。
新人として、最強の武器。
「教えてください!」
この言葉から始まるコミュニケーションはたくさんあることを学ぶ。
それに、現場に出れば、知らないことだらけ。
結局、聞くしかないのです。
ちょっとの知識など、数十年の経験に勝るはずもない。
聞いた方が、良い。たくさん聞いて、たくさん学んで。
いずれは、たくさん聞いてもらえるような教員になりたいなとも思いました。
実は、そんな関係性を重視している職場だからこそ。
皆さんは基本17:30には誰も学校にいないということで。
しかも、しっかり業務をこなしつつ、みんなで楽しく大笑いして、帰る。
嫌な残業は、睡眠時間を削り、メンタルも削いていく。
その翌日学校に来て、いつもの子供達の行動に、怒りたくなったり、管理したくなったり。
そこから、学級がうまくいかなくなり、負の連鎖になる。
結局、まず自分がしっかり幸せじゃないと。
そんな職場の、校長先生はいつもニコニコされていました。
だからか、先生方の笑顔も非常に多い。
何より、先生方が笑顔であることは、子供達の無意識下での肯定にも繋がります。
要は。
まず自分が幸せに、楽しく生活すること。
それが連鎖して、周りの笑顔も増えたりする。
教員の笑顔が増えることで、子供たちは肯定されている気持ちになる。
子供たちは、のびのびと自分のやってみたい!に挑戦できるようになる。
そういう、良い連鎖を回せるようになりたいし、回す一員でありたいなと思いました。
<まとめ>
今回は、イエナプランをもとにした1日授業で、非常に学びが多かったです。
特に哲学対話は、驚きが多かった!
自分も考えさせられる問いばかりでした。
そういったところから、先生方の振る舞いや子供達の行動。
また、校長先生とお話しする中で、教務室や学校全体の在り方なんかも考えるきっかけになりました。
まだまだ、先生にすらなっていない身ですが。
一年目から、自分が何ができるのか。
よく考えて、しっかり、やっていきたいな、と思いました。
坂井校長先生をはじめ、見学させていただいた鎧郷小学校の先生方、子供達。そして一緒に見学に行ってくださった金井さん、ありがとうございました!!