先日、附田賢一先生の授業を見学させていただくために、長野県長野市立山王小学校へ行かせていただきました。
ここ数ヶ月で長野への来訪の回数がとても多い。新潟市にいくよりもおそらく多いです。
それほど上越市からは近いですし、近くに研究室のOB・OGの方がいらっしゃるというのはとても心強い。
実際、教員になってからでは、4時間以上の遠出はなかなかに厳しい。
けれど、上越市内や長野には、たくさんの先輩方、実践者の方々がいらっしゃって。
とてもありがたいことに、繋がりを持たせていただいて。
そういう環境だからこそ、結構不便なこの地でも、ここで教員をやりたいな、というふうに感じるようになりました。
また別のブログで書きますが、最近は県外に見学に行き、学校の雰囲気、地域の雰囲気を体験することができています。
それはきっと観光だけでは難しくて。
実際に学校に入るからわかる空気感というのも感じられて。
そういう空気感、頼れる先輩方が近くにいるということ。
つまり、『人』で自分の住む地を決める、というのも良いなと思ってきました。
私は生まれてからずっと同じ地で小中高大といるわけで。
就職してもきっと同じ土地だと思っていました。
だからこそ、新しい選択肢も見えてくる。
もしかしたら、数年後。
自分はここにいないかもしれない。
どこで、どんなことをしているのか。
小学校ではなく、中学校にいたり。
そもそも学校にいなかったり。
どうしているのかなぁ、なんてことも考えられるようになってきました。
そんなことを考えるのも、面白い。
さて、授業見学の感想です。
その前に、ブログを最後まで書いてから思い出したことを少しお話し。
実は、今回の見学に行くのはすごく緊張していました。
今回は、学部生の私と院生の先輩の二人でいかせていただいたのですが。
実はわたし、授業見学に現職の方なしに行くのが、おそらく今回初めてだったのです。
今までは、頼りになる現職の方に誘っていただいたり。最近は自分でアポを取っていくことはあれど、現職の方も一緒だったということもあって。
だから、学校でのマナー、見学の際の注意点、校長先生方との関わり。
そういった、無意識に現職の先輩が今まで担ってくださっていたことを、自分でやることになる。
そういうところに、緊張をしていました。
今まで、何度も見せていただいた姿。その通りに、丁寧に、行動する。
無事に、見学させていただきましたが。
そういう点でも、昨年度からの自分の成長を改めて感じました。
ということで、授業見学の感想は下記に。
附田先生の授業を見学させていただくきっかけになったのは、先月参加させていただいた『学び合い』北信の会がきっかけでした。
というのも、11月の頭に附田先生が授業公開をされたということで。
私もとても行きたかったのですが、卒論中間発表会と上越でのフォーラムが見事に重なってしまい、連続の徹夜をしていた時でした。
その感想を人から聞いたりして、自分も見てみたい!という気持ちがありました。
研究室の大先輩として、また自分の中でこれから教員になっていくための、その取れる手段のカードを増やすという目的もあり、見学させていただきました。
学級は20名ほどで、中規模校という感覚。
朝は結構ゆったりな感覚もあり、子供達が図画工作の絵を描いていたり、別学級のところへ行っていたりで緩やかなスタートでした。
私は授業見学に行くと、学級掲示に興味を持ってみています。
学級目標や写真、子どもたちの作品がどのように展示されているか、というのは先生のスタイルや願いがより反映されると思っているからです。
例えば、附田先生の学級目標は、子どもたちの手作りで作られていて。
そういうところに、先生の関与がどのくらいなのか、子供達が学級目標をどのくらいまで落とし込めているのか、というのが現れるようにも思っています。
また、大切にしたいこと、今までの軌跡なんかも学級掲示では見ることができる。
私が先生になった時に、どんな学級掲示をするかなぁといつも考えています。
学級目標はみんなで作りたいし、いろんなところに写真を貼って、頑張っている姿や学びの記録を貼りたい。
作品やそれぞれが主張できるスペースも作ったり。
教室デザインを、子どもたちと一緒に作っていきたいなと思っています。
でも、それが激しすぎたり、ノイズにならないように。
そういうところも併せて、いろんなところへ見学に行ってみたいなと思っています。
面白いなと感じたのは、学級の札(6-2)などの表記が、全部で6ヶ国語で書かれていたこと。
外国籍の子供が在籍しているのか、子供達の興味を増やすための中はわかりませんが、面白いなと思いました。
最近では、階段に英語の単語が貼ってあったり、理科のポスターがあったりと、日常的に学びに触れる機会を作っている学校が多いと思います。
この辺も、学校デザインとして何ができるかなぁ、なんてことも考えることができました。
ある程度子供達が集まってきて、時間があるときは。
附田先生は子供達一人一人と少しずつ会話をされていて。
私の中等実習の時の記憶が戻ってきました。
一人一人と話す、承認する。それを毎日、しっかり繰り返す。
会話から溢れる、先生の人間性、優しさが素敵だなと感じます。
黒板上に、時計があった跡があり。時計は教室横にかけられていました。
その辺も、配慮されているなと感じます。
朝の会では、少し盛り上がることはあれど、しっかり子供達によって進行されていく。
先生が話していても、賑やかな状態だったので、どうするのかなと思っていたのですが。
話していると、それに気づいて緩やかに静かになる。
だから、別に怒るわけでも注意するわけでもない。
話のボリューム、声のトーン。
そういうものが、注意しなくても子供達に聞いてもらうためのテクニックとしてあるなと感じます。
いよいよ授業の時間。
6年生では教科担任制を学年でやっている感じで。
ある教科は何組の先生、ある教科は別の組の先生。そういう分担がされていて。
確かに、全校で教科担任制を推し進めなくても、学年でやることでも負担は減るなと感じました。
今回の授業見学は、まず算数を二授業見させていただいて。
両方とも6年生の内容でした。
内容としては比例の内容。
xを何倍すると、yも何倍になる、のところです。
『学び合い』ではないけれど、即時のフィードバックによって子供達の学びを見とっている。
一斉授業をしっかりとやり切ることの難しさを改めて実感します。
自分ならどういうふうに授業を作っていくだろうか。
比例の範囲は、中学校や高校まで続く内容の一番基礎になっているところでもある。
上手いこと、中学内容を引っ張ってきて落とし込めたりしたらめちゃくちゃ面白そうだな、なんてことを思ったり。
あとは、主体的・対話的で深い学び。これの難しさ。
一斉授業をすれば、この機会は結構削られるし、先生が意図的に作らないと協働の場面もない。
これを普通の授業で実現するのって、すごい難しいことだなと改めて感じます。
表を使って、倍の関係について説明していく。
色分けなども丁寧に行われていて、すごいなと見ていました。
『学び合い』をやるって考えると、あまり板書に力を入れなくなってしまうけれど。
これも、知っていて損はないし、大事だよなと思い。
この辺もまた経験しながら、いろいろやってみたいなと思うようになりました。
学習のペースは本当に子供たちによってバラバラ。
教科書を見てすでに今日の学習内容を終わらせている子どももいるし。
ノートを取るのに一杯一杯になっている子もいる。
ノートはとっていないのに、授業へは積極的に参加している。
どこに価値を置くか。それは、先生によるなと思います。
とりあえず、ノートをとる。
そういう、「とりあえず」知っていること、今までのことをやらせる。
これは、中身が形骸化しやすい。
何が大事で、なぜやるのか。そういうwhat,how,whyがすごく大切だし、
教員自身がそれをちゃんと説明できなきゃいけないなと考えました。
授業を見ていると、面白いことに気づきます。
45✖️2や45✖️3を筆算でやっている子や、足し算を手でやっている子もいる。
中等実習の時や塾でもそういう経験がある。
どこぐらいから、どのレベルで暗算できるようになるのか。
先生は、どこまで指導していけるのか。
結局、全員ができる必要はない。万人に必要な力ではない。
そういうものが教科学習ではたくさんあるけれど。
じゃあ、できるかできないか、という視点は置いておいて。
全く触れさせないでも良いのか、ということも考えてしまう。
結局、時期が来て触れたくなったから触れる、というのが一番良いけれど。
いろんなことに触れることができる環境を設定してあげたい。
教科書をなぞる授業じゃなくて。
教科書を飛び出した、日常に関わる学びを子どもたちにも。
学びって楽しくて、面白い。
それは教科だけではないし、でも教科も面白い。
点数で測れるだけではない面白さ、知識があるってことをちゃんと伝えていきたい。
発話の量にも注目しました。
子供達の発話を引き出すにはどうしたらいいんだろうか。
『学び合い』の授業や、それをベースにした授業は、子供達の発話量が圧倒的。
それは、先生が話していないからなのか。
それとも、話しても良いという保証がされているからか。
それとも、話すことが得だと認知しているからか。
では、私の授業では発話量は増やせるか、と言われたら難しい。
理由を考えると、一つは収集をつけられないから、というのがありました。
いろんな疑問が飛び交っていくと、それに応えきれないし。
むしろ自分もわからない質問が飛んできた時に非常に困る。
そういうものを避けるための、強いレールを引く感覚。
だから、『学び合い』でも、一斉指導に見える『学び合い』でも。
教員がその膨大な量の子供達の疑問に答える、受け止められる知識や余裕の受け皿が必要になる。
授業を聞いていると、附田先生の家族の話が出ることがありました。
子供達は、すごく興味深そうに聞いている。
みんな「息子ちゃん」って呼んでいて、すごく微笑ましい。
自分の家族の話を、楽しそうに話せる先生っていいなって思います。
それこそ、こういう人生っていいなって感じるような、一つの幸せのモデルを子どもたちに示すことにもなる。
別に、全員がその選択を取らなくてもいいけど。
その選択の一つになったら嬉しい。
先生は、多分家族の二番目に子供達が関わる大人だから。
大人って、こんなに楽しくて、幸せなんだよってことを、ちゃんと伝えられるように。
自分の生活も、ちゃんと充実させるべきだなと思います。
給食も子どもたちと一緒にとらせていただいて。
実習ぶりの給食。。。めっちゃ美味しかった!
給食中にお話を聞いて。
学級には転校生が何人もいること。
そもそも、受験生が何人もいること。
これにびっくりしました。
自分たちの地域は、基本的にほとんどが中学受験をせずに公立学校に行く。
学区も同じなので、みんな同じところへ。
でも、そこはそうではない。
受験をして、結局違う学校に行く子供達が結構いる。
目の前に別の道がある。
そうなった時に、小学校6年生の子どもたちに、つながりを保障するとはなんだろう。
どうすれば良いだろう。
中学卒業後や高校卒業後に考えるべきことが、小学校でも考える必要があるという状態。
私は、たとえば6年生を持ったら、何ができるだろう、何を残してあげられるだろうか。
考えてしまいました。
今回の授業見学では、改めて自分が初任者としてどう授業を展開していくのか、学級を作っていくのか、そういったものを考えるきっかけになったと思っています。
最近よく考えること。
教員の自己開示の大事さ。
子供達の自己開示の大事さ。
それらがちゃんと機能することで、『学び合い』だろうが一斉指導だろうが、うまくいく。
『学び合い』なんかは、究極の自己開示。
自分の考えを話し、行動しているかどうかが見られる。
子供達も、わからないを自己開示しなければいけない。
でも、それが人と繋がっていくために必要なことだとも思う。
よくわからない、信頼できない人と仲良くする、というのは結構難しい。
お互いに自己開示することが信頼につながる。
だからこそ、自己開示しやすい環境を作っていくこと、肯定していくこと。
また、自分自身が積極的にすること。
それが大事だなと改めて思いました。
大変お忙しい中で授業見学を受け入れてくださった附田先生、山王小学校の皆様。一緒に見学に行ってくださった先輩。
本当にありがとうございました。