先日、寺子屋TANQに見学に行かせていただきました。
私自身はちょうど一年前に見学に行かせていただいており、そこからの変化だったり、自分が新しく学んだ知識をもとに疑問に思ったことなどを聞きに行かせていただきました。
また長くなりますが、振り返っていきます。
<寺子屋TANQの午後>
今回は、午後から見学させていただきました。
午後は、新しい寺子屋TANQの場所を見せていただいたり、子供たちと一緒に公園に行って遊んだりしました。その後は、子供達が保護者の方にインタビューする、というすごい場面にいさせていただきました。
○新しい寺子屋TANQ
今のTANQの物品の運び出しを少しずつ行なっているそうで、一緒に新しい場所について行かせていただきました。
今よりも非常に立地が良く、広い場所。部屋数も多くて、いろんなことができる場所だなぁとみていて感じました。子供達もすでに相当楽しんでいる様子。
移転することで、子供たちの人数も増やすことができる。
そこに付随して、スタッフを雇ったり、ということは考えて行かなければいけないのでしょう。
経営の知識、人事、おそらく教員ではほとんど使うことがない知識。
本当に、運営していくことの大変さ、けれども面白さというところも感じました。
ぜひ、新しくなったところで過ごしている子供達の姿も見せていただきたいなぁと。
立地がいいというのは、駅などが近くにあれば、安全に来て、帰ることができるということ。
また、今まで送り迎え等の問題で来れなかった子達が、電車で来ることができるようになる。
そういう点で、立地というものを考えるのはすごく重要。
もしも、今後塾やフリースクールを起業していくとしたら、必要な考え方だなぁと感じ、学ばせていただきました。
○子供たちと公園へ
その後は、子供たちと公園へ。この公園は、去年来た時にも、子供達と遊んだ場所です。
昨年度に比べて、人数の入れ替わりはあれど、知らない子が一人入って。それ以外はみんな知っている子達でした。
一緒にサッカーをしたり、キャッチボールをしたり、バレーしたり。
大人、大学生も含めて異学年が混じり合って、楽しんでいる空気感、すごく好きです。
昨年度からいる子供達の、成長についてもすごく感じます。
単純に、背が伸びたというのがあったり。
話す言葉が、より丁寧になっていたり。
そういうところから、子供達の成長を感じて嬉しくなりました。
子供達が、この一年でいろんな人と会って、関わって、学んだからかなぁ、というふうにも捉えました。
○子供達から保護者の方へインタビュー
寺子屋TANQの今の住居に戻って。そのあとは、なんとたまたま子供達が保護者の方々にインタビューする、という場面に。
自分の子供がTANQに入ってからどう変わったのか、保護者の方はどう変わったのか、などの質問項目がありました。
詳しくは、載せません。でも、なんだろう、結構泣きそうになりながら聞いてました笑
というのも、保護者の方々全員が、子供達の成長を感じて、フリースクールに入って良かった、子供達が毎日楽しそうに生活している、という声。
一年前に見たことも含めて、すごく保護者の方の声が刺さりました。
本当に良かったなぁ、と思う気持ち。
そして、何より苦しい中で今も学校で頑張っている子もいるということ。
地域にそういう場所がなくて、どうすることもできない状態でいる子もいるということ。
そこで悩む、悲しむ保護者の方がいるということ。
それらを、本当に全体でなんとかしたいなという気持ちが強くなりました。
今回のインタビューというか、その場面を見た時に、面白いなと感じたことがありました。
全員が、異学年の子の保護者の方。その方々が、とっても仲良しなんです。
保護者の方同士も仲が良く。市川さんと保護者の方が仲が良く。さらに、子どもと保護者の仲がいい。
これって、あんまり学校で見られることじゃない。
もちろん、保護者の方同士で仲がいいのはありますが、じゃあ参観日に、全員とお話しするか、全員が和気藹々とお話ししているかといえば、そうでもない。
そこが、面白かった。
市川さんのことも、「いっちー」と呼び、一緒に子供たちを育てていこう、という気持ちが感じられました。
こんなふうに、子供の教育を中心に、先生も、保護者も、地域も関係なく、みんなで考えていける空間が、素敵だなぁと思って見ていました。
<寺子屋TANQの現状>
ここからは、子供たちが帰った後に、市川さんとお話ししていた内容について振り返っていきます。
まず話したのは、寺子屋TANQの現状について。
新しく拠点を移すということだったりを行うことで、より人数を増やすことができるフェーズ。
そもそも、学校からフェードアウトしてしまった子供たちが来ていた、という状態から、保護者の方が最初からそこを選択して来る、という段階に入りました。
例えば、幼稚園や保育園を上がり、入学するタイミングで、もうすぐに特別支援学級に入ることを勧められる子供達。
家や、フリースクールでは、そんな雰囲気は全く感じないのに。
結局、今の学校の形にあっていない、授業の形にあっていない
学校に行けなくなってしまった子供達の受け皿、という認識が、全体的に変わってきている証拠だと思います。また、公教育に対して、信頼が減ってきている、できることも減ってきているということかと考えられます。
そういう実態を踏まえて、公教育の教員になる自分達も良く考えて行かなければいけないなぁと思いました。
<フリースクールに通う子供たちの、指導要録>
フリースクールに来ている子供たちの指導要録上の扱いはどうなっているの?
私としては、単純に疑問がありました。以前の瀬戸ツクルスクールでも学んだように、
法として就学義務がある。
しかし、それは形式として学区の小学校、中学校に学籍は存在していて、通うのはフリースクールなど。
その時に、学校側の指導要録は白紙の状態。
もちろん、ちゃんと通っている場所に足を運んで、子供達の様子を聞いて書いたり、フリースクール等の担当者が書く(書くための情報を提供する)ことはあるそうで。
自分自身、まだまだ学校内の業務など、知らないことが多いため、学びになりました。
<出席日数・欠席日数について>
上の話から、出席日数についての話になりました。
長野県(もしくはどこかの市)では、調査書の出席に関する欄を、廃止にした、というものがあります。
私自身、ここにすごく興味があります。
私も塾で講師をしているので、調査書関係の話を聞くことが結構あります。
また、私の地域では、高校入試における調査書と入試の点数の比は3:7と呼ばれています。
また、出席日数もしっかりカウントされ、記入されているはずです。
今ニュースを調べてみると、どうやら私の住んでいる県では、ちょうど先月に、欠席日数の記入欄の削除を検討する旨の声明を出していることがわかりました。
それが実施されるとしても、数年後。まだまだ先です。
本当に、欠席日数が必要ではない、そこは入試には関係ない、とわかっていても、明文化されていない以上、現状を変えることはできません。
そこで話していたこととして。
・必要なしのデータはそもそも書く必要性がないこと。
・出席、欠席に関して把握するのは、教員の業務としても非常に労力が必要になるため、そもそも廃止した方が業務改善になる。
このように、新しい制度、何かを廃するには、そこに必要な理論がいる。
真っ当な理由が必要になる。
だから、不満を唱えるだけでなく、ちゃんとそこにある背景や、それが変更された時の今後の指針、変更時の対応。いろんなことを知り、考えて行動を起こさなければいけない。
結局、「法律」。法治国家だからこそ、自分を守るのも、何かを変えていくためにも、必要になる。いろいろ今後行動して、何かを変えていく上で、必要な知識であると改めて実感しました。
<多様な選択を>
学校で学んでいる子供たち。
義務教育の間に、学びがしっかりと保証されているのであれば、それは公教育の方がいい。
でも、現実はそうではない。
全員に学びを保証できていない、場合もある。
それなら、自分らしくいれる、自分らしく学べる場に行く方がいい。
結局、フリースクールは不登校の子どもたちが行く場所ではなく、多様な選択肢の一つである。
今後の社会は、それこそ多様な選択ができるように、尚且つ多様な学びの場を行ったり来たりできるように、そんな社会になっていくのがいいなと思います。
それは、今自分が課題として抱えている、学び直しについても同様。
自分で選び、自分で学ぶ。
多様な選択肢を保証し、選択肢を選び直すことも保証された社会。
そんな社会がいいなと思います。
「色々な子にとって多様であることは、不利益にはならない。」
結局、いろんな要因があって、学校からフェードアウトしてしまう。
事故や病気なども、その要因である。
私も、小さい時に病気、というか、病院に通わなければいけない状態にあって。
だからこそ、学校を休むっていうのは、なかなか勇気がいる。
勉強についていけるか、出席日数は大丈夫か。
そういうことを、考えなくてもいいようになったらと思うし、そっちの方が、学校にストレスなくいけると思うのです。
そういう点で、やはり出席、欠席日数の欄を廃止した政策は、すごいものだなぁと改めて感じます。
<起業について>
フリースクールや塾の起業についてもお話ししました。
というのも、私の今後のキャリアの一つとして、「学び直しの塾」をやって見たい、という展望があるからです。
やはり、お金をもらう、ということ。
それは、責任が発生する。良い学びを提供する必要がある。
これから、いろんな学びの場が並列に並んできた時に。
「どこにお金を出すか」、受益者が決定権を持つ。
どこで、どんな学びを受けさせたいのか。
今でいう、私立に行くか公立に行くか、という選択。
でも、これも結局一条の縛りがある中での選択。
それが取っ払われた状態の時に、どうなるか。
そこは、教員側だけでなく、保護者の方々の意識も変わっていく。
自分の子供の将来を、どうなっていって欲しいのかを、しっかり考えざるを得なくなる。
そのためには、一条校出身以外のモデルケースを多く作っていく必要もあるなぁ、なんて思いました。
<苦労は買ってでもせよ>
「学び直し塾」だったり、学校を作る、となったとして、無名の人の元には誰も集まらない。
以前のフォーラムでも少し感じるところもありました。
逆に、人を集める人ってどんな人なのか、その辺のお話をしました。
まず、塾などをやるんだったら、箔をつけておくことが大事。
また、人望面だったり、法律面だったりで、頼れる先を見つけておくこと。
特に大事だなと思ったのが、初任の時から積極的に動くこと、です。
ゼミでも言われる、基本の挨拶ももちろんやりつつ。
でも、先生方のお話を聞いていると、よく聞く言葉があります。
「若いうちはに 苦労は 買ってでもしろ」
ゼミの師の話や、私が授業であった素敵な先生などなどの話を聞いていると、ほぼ全ての方が、初任の時から積極的に動いていることがわかります。
結局、最初から動くことで、人に守ってもらいやすくなったり、自分のやりたいことを認めてもらえたりする。
もちろん、やったほうが充実するし、楽しいからやる、と思えるのが一番です。
例えば、初任者教員としては、自習の監督だったり、先輩教師の授業を見させていただいたり。そういったものに積極的に手を挙げて、行う。教員一年目を乗り切るサバイバル術にもいくつも書いてありました。
そうすることが、人との交流や信頼につながったり、いろんな保証にもなっていく。
積極的に、動いていきたいな、と思いました。
<先生になった後の行動>
私の感覚として、先生になった後は、あまり自由に飛び回ったり人と関わりに行ったりできないのかもなあという気持ちがありました。
そういうこともあって、残りの半年をいろんなところに行って、見学して、人と関わって繋がる、自分の学びを増やすということに費やそう!と決めました。
でも、本当にそうなのか、というところを考えさせられました。
市川さんの昔のお話を聞いて、意外にそうではないのではないか、と感じます。
どういうことか。
上記に書いたように、箔をつける、という意味以外にも学校で積極的に働く、苦労を買って行わせていただくことに意味があります。
例えば、研修会への参加。
こういった先進的な取り組みを観れるのは研修会の特権だと思います。
そういった募集に、毎回積極的に手を挙げて行かせていただく。
学校の派遣ということであれば、公的に学校をお休みできるしお金も支給していただける。
その上で自分で学びに外に行ける、というのはすごく魅力的に感じます。
また、そういった行動を周りが認知してくだされば、いろんな見学へのお誘いをいただいたり、学校外へ見学へ行くのもしやすくなると思います。
そのためには、他の方がお休みする際に積極的に手伝わせていただく、というのも大事。
自習監督や、時には一斉指導をやらせてもらうのも、役に立てるし自分のスキルも上がる。
自分はこういう人間だ!というのを、初任から行動で見せていくこと、尚且つ独りよがりではなく、人に協力し、協働する姿勢を見せていくこと。
それらは、自分の行動を応援してもらいやすくなるし、相手のことも助けることができる。
そんな初任者になりたいなと思っています。
また、自分が休むということは、誰かに自習をお願いするということ。
でも、ちゃんと『学び合い』をしていれば、何も言わなくても子供たちは授業を進める。
その監督だけお願いするだけで良い。
面白いと思ってくだされば、『学び合い』を広げたり一緒にやることもできるかもしれない。
そういう可能性も、広がるなぁと思い。
別にこの残り半年で終わる人生ではない。
先生になってからも、できることはたくさんあるなと改めて感じさせてくださったお話でした。
<本当に『学び合い』だけでいいのか>
自習監督のお話の時に、一斉指導もやってみる、という話が出たので深掘り。
『学び合い』でしっかり集団を作られている先生方の授業を見ると、自分の『学び合い』に自信を持っている、というのが共通しているところだと思います。
それは、『』をやることで、成績も、子供達のつながりも、確実にレベルアップすると言い切れるから。それは理論として、理屈として落ちていて、そうなる実践もよくわかっているから。
だから、『』をやることに「自信」を持てることは、そもそも自分の行動や、学級に対して保証できる、ということでもある。
だからじつは、一斉指導もやってみるといいなって思っています。
一斉指導も極めて、『学び合い』もやってみて。
その上で、自信を持って『学び合い』を選択したい。
それに、一斉指導や教材研究が、結局『学び合い』に生きる、という話もあります。
それはこの後に。
<とりあえず、わかった。という全員達成ではいけない>
「一人一人のゴールに向かって、やっているかどうか。それぞ自他ともに認められるかどうか」
はいどうぞ、の授業形式で、全員達成した時。本当に全員がわかっているのか、というところに疑問を持ちます。
そもそも、「わかる」とは何なのか。
結局、1時間限りの『学び合い』で難しいのは、そのページが全員ができる、というのを目指す時、そのページさえできれば、、、という理解になってしまうのが怖い。
でも、学習ってそんな単純なはずがなくて。
そもそも、理解のステップ、学習に入る前のレディネス。
それらは個々人で全て違う。
つまり、「全員が〇〇がわかる」としても、そこに至るまでのステップ、詳細な課題はここで異なる。
それを、全員が全てのステップを登り終わって終わる全員達成って、相当困難だ。
お話をしていて、一つの案として考えたこと。
最初のプレテストなどで、どれだけ自分が理解できていないかを明確化する。
次に、ある問題について、自分がどこまでできていないくて、どこからがわかっていないのか、というチェックシートを用いて、自分の「本当の課題」を発見する。
それを持ち寄って、自分の課題を達成していく授業。
最終的には、みんなで学習する前よりもチェックシートのわかったという欄にチェックが増えていることを目指す授業。
まぁこれって、単元『学び合い』なんですが。
そこを、自分の学習のステップを見える化するというのは、大切なのかもなと思いました。
そういうチェックシートを導入するのも、面白そう。
結局、よく考えなきゃいけないこととして。
社会での幸せや求めるところは違う。私も最近よく考える「それって全員に必要な力?」ってやつ。
それを考えた時に、一授業で、「全員が、同じタイミングで、全体ができるって、ほんとうに?」ということをよく考えなくてはいけないなと思った。
全員達成できて嬉しい!できなくて辛い。ではなくて。
じゃあ、できなかった子は全てできなかったという評価になるのか。
できるところが増やせた、というのが大事ではないのか。
できた子は、今回のページの表面上の部分ができたから良いのか。
そこを応用したり、その学習の核になる部分が理解できているのか。
そういう視点を持って、何を持って、「全員達成」とするのか。
そこをよく考えていく必要があるなと感じました。
社会でも同じように、いろんな幸せの形があるよに、色々な学びの形がある。
同じゴールでなくても良い。
<西川研究室の歴史の中で>
市川さんが、西川研究室のOBである、ということから、研究室の話題になることも。
昔の研究室の話や、先生方の話がすごく面白かった。
全国フォーラムの関係の話も聞いたりして。
それがなくなってしまった原因に、実はすごく関連する出来事が私の身にも起きていて(高校生)、すごく納得してしまった。
どこまで書くべきか、悩むけれど、書きたいこと。
ゼミの師は、今の研究室、うまくいっているだろう、と言う。
我々は、そうですね、と答える。
でも、本当にそうか!!!?
うまく行かないことばっかり。
けど、それを何とかうまく行かせるために、動く人がいて、そこについていく人がいる。
だから結局、うまく回る、と言うか、ギリギリで耐える。
それも含めて、うまくいっているだろう、と言われているとしたら、どこまで手のひらの上なのかと言う感覚にはなるが。
越後の会などのイベントも、そういうことが多い。
「しんどい、大変だ、きつい。どうしようもない。」
そういう感情が出てくる時に。
それでも頼り合って、なんとかしよう、とする2割がいる。
やっている時は、「このゼミ上手くってないんじゃないの?」と言いたくなる。
でも、終わると、イベントは無事に終わっていて、なんとかなっていて。
若干の苦さは残るけれど、でも自分の経験にもなった、とも考えられて。
そういう気持ちを、実はずっと前の先輩方も抱えていたんだ、というところにすごく共感して。
でも、そう感じていたこと、経験したことが今に生きているのだから、上手くいっているのだろう。そう思うことにしました。
<自分で『学び合い』の会を開く>
来年度から、私の展望として、『学び合い』の会を開きたいというのがあります。
でも、そこで人が集まるかどうか、どういった新規制を持たせられるかで悩んでいました。
その相談にも乗っていただきました。
私の展望は、『学び合い』をちゃんと学べる、実践も紹介し合ったりできる、本当に教員の方特化の『学び合い』を学ぶための『学び合い』の会と。
地域の方々、保護者、教員、本当に多様な業種の方々が集まって、みんなで一緒に地域や、教育、子ども、いろんなことについて考えていく『』の会を作りたいと思っています。
特に後者の運営をどうしようか考えていたのですが。
SDGsの目標から引っ張ってくる、というような案をいただきました。
確かに、それなら会の位置付けとしてもやりやすい。
また、SDGsは2030年で終わるので、新しい目標になればそれはまた新規性がある。
飲み会も企画したりして。
そういう会を、作っていきたい。一緒に、みんなで考えていきたいなと思います。
そういうことも含めて、今年度のうちから企画し、動き始めたい。
そうやっていって。
例えばみんなで集まった人で、2年に一回くらい『』の本を出したり。
全体が集まったフォーラム見たいのをやったりして。
そうやって、繋がりを新しく作って、強固にして。
最終的に『学び合い』って言葉がなくなっても、それが当たり前になっているくらいに。
<どこまで変えられるか>
校長先生になることは、目の前の学校を変えられるかもしれない。
教育委員会に入ったり、教育長になることは、目の前の地域の教育を変えられるかもしれない。
でも、それも任期があるから、そこで終わった時にどうなるかはわからない。
大事なのは、法治国家において「法」を作ること。
そうするには、きっと自分一人ではできないこと。
自分一人が何かになっても、変えられるのは目の前のことだけ。
根本を変えたいなら、仲間が必要。みんなでやるしかない。
そういう仲間は、多種多様。でも、結局人を動かすのは、感情だけではない。
理論、理屈がいる。だからやっぱり、法なんだなって。
だから、教育法規とか、よく勉強しなおさなきゃなって思います。
教員採用試験で学習したことを、そのまま忘却しないために。
そして、いずれそれらがどういった効力をもたらしてくれるのかというところも併せて考えて学んでいく必要がある。
学ぶ、学ぶといっていますが、これも結局一人ができる限界がある。
だから、法律に強い人と繋がったりして、仲間の力を借りる。
『学び合い』でもそう。結局、人一人ができることには限界があるから。
だから、人を頼って、みんなでなんとかする。
そういう繋がりを、大事にしていきたい。
<『学び合い』ではない手法、教材研究をする意義>
結局、比較することでそのものの良さや必要性を感じる。
だから、『学び合い』一辺倒になるのは、逆に良くないとも思う。
それしかできないからやる、のではなく。
自分で、それが最適だと思うからやる。それが大事。
教材研究も大事である。
山崎さんの授業を見せていただいたり、市川さんとお話ししていて。
結局、授業者に知識があれば、それが活きる。
それに、より課題が日常と関連づけられたり、高度になれば。
それこそ、表面的な全員達成ではなく、全員が、それぞれの学習に向き合って、課題をそれぞれが達成する、という形の本当の全員が「達成」になっていくとも思う。
<企業と教育>
瀬戸ツクルスクールの見学によって、地域と教育が一本になることの大切さを感じ。
どこまで公教育でできるのか、ということを考えていた。
どう企業と教育を繋げていくか。
大事なのは「子ども」を主語にしていくこと。
学校と企業とのタイアップ。
小中高生は、純粋な気持ちで企業で学び、働くことを知る。
企業は、その中で欲しい人材を見つけ始める。
残るか残らないかはその子たちの選択。
でも、サポートだったりを手厚く受けられる。
そういう選択が、活動が、社会があってもいいと思います。
実際、そういう形をしている高校は増えてきている。
デュアルシステム、という言葉。私はまだまだ知りませんが、それに近いのかな?
ちょっと調べて、見学したいなと思っています。
<考えられる、いろんなキャリア>
面白そうなキャリアが、たくさんある。
公教育の教員として生きるか。
非常勤➕塾の選択か
フリースクール➕塾か
それとも。『学び合い』塾か。
<まとめ>
本当に、いろんなことを学びました。いろんなことを考えました。
今回は、子供達の様子を見学していた時間は短かったですが。
保護者の方の話を聞けたこと。
一年間の学びをもとに、市川さんとお話しできたこと。これが大きかった。
考えていく中で、新しい疑問が出ました。
『自分の核、信念とは何か』
昨年度からいろんなところに見学に行ったり、いろいろな方とお話しさせていただいて。
それこそ最初は、自分が先生になったら教員として何ができるかなぁ〜とか、『学び合い』ってどんな感じでやってるのかなぁって知りたくて。
そしたら、『学び合い』の授業はできそうだけど、それで全員が幸せになるの?とか、学校にそもそも来れていない子とはかどうなるの?っていって、公教育外の教育の場所を見て。
そうしたら今度は、みんな『軸』や『願い』を持っていて。それを聞いてみたい!と思って見学に行って。
そこから、『学び合い』をやっていく上で、自分の『軸』や『学級への願い』、つまり自分の学級像が明確になっていって。
それが『先生がいなくても、自立した集団を作る』ということだなって、言語化できて。
じゃあ。先生としてできるのって本当に『学び合い』で学級経営するってだけ?と思って、また見学に行って。
そしたら、地域と教育が一つになって子どもを考えている場所があって。
じゃあ、地域がよかったらいいの?って考えたらそうでもなくて。
最終的に、公教育の教員としては、幸せになるための基盤、人と関わりつながり、力を貸し借りし合いながら課題を解決していくことが大事であることを、子供に伝えて、学校外に送り出す。
逆に、社会の一員として、そういった子どもたちが送り出された先を作っていくために活動したり、自分も繋がって、みんなで考えていくために行動しなきゃいけないことがわかって。
じゃあ、教員としての自分、地域の人間としての自分。色々な立場があるけれど。
そういった一員として、行動したいと思う信念は、核はどこにあるんだろう。
関わってきて、見学させていただいた方が、皆様にきっと核・信念のようなものが感じられて。そのバックがあるから、原動力にもなっているし、人を惹きつけ、繋がっていっている。
その人間としての重みが、自分にはどこにあるんだろうって。
あるひとは、小さい時の苦しかった経験、保護者になって苦しかった経験から。
あるひとは、自分が幸せだったからこそ、子供達にも。
たくさん学んできたことの整理が、終わり始めている。
次考えるべきは、自分の核。
柱はわかっている。その根本の部分。何を思って、なぜ行動するのか。
最近わかってきたこと。
『学ぶ』ということは、『対話』であり、新しい自分を作るという営みである。のではないかということ。
そこから生まれるのが、本質に迫る『自己対話』
人の力を借りて、『自分というものを考える』課題を達成していく。
次の課題が、また見えてきました。
寺子屋TANQの子供達、保護者の方々、そして市川さん。
ありがとうございました。