先日、『学び合い』北信の会に参加させていただきました。
あまり長野の会に参加したことがなかったのですが、参加できて大満足でしたし、来年度以降教員になってからも、ぜひ行かせていただきたいなと思える会でした。
今回の目標として、「こどもの権利」とは何か学びにいくこと。長野の方とお会いして、お話ししたり、つながりを持つこと、他県の教育の施策や動向について把握し、自県で活かせる部分を考えること、などがありました。
では、振り返っていきます。
<講演>
前半は、講師の菊池様や西崎様からのお話を聞きました。
いろんな話題があったのですが、振り返ります。
最初は子どもの権利について。
子どもの権利、というものはそもそも元から持っているものであり、尚且つ子どもならではの権利である。(保護される対象であることなども)
さらに、一人に人間として、自分に関わるあらゆることについて声を上げる、決めることができる権利である。
子どもの権利だったり、子どもの権利条約については、本当にさらっとですが教員採用試験の時に学習したので、その知識も相まって理解が深まった感覚。
ここで、「子ども観」について、フリートークの時間が設けられました。
我々のゼミ、というよりも『学び合い』の本を読んでいるので、子ども観という言葉は非常に耳馴染みある言葉でもあり、「子ども集団は有能である」なんてさらっと出てきますが。
でも、昨年度から、本や先生の言葉を、自分の言葉で落とし込もう、自分の言葉にしようと思っている自分的には、どんなものが子ども観かなぁ、なんてことを考えていました。
今のところは、結局本当に多くの可能性を持ち、大人以上の純粋さと発想、力を持っている、そんなふうに言えるかなあ、なんて。まだまとまりきれていませんが。
話は、意見表明について。
話題には、「無意識の年齢の権力構造」がある、という話に。
「〇〇生が大人に混じっていて、すごい」や、「〇〇歳だから、できる」とか。
そういった価値観、感覚が染み付いているのではないか、というもの。
このバイアスがある、ということを意識することが大事だって。
確かに、子供には可能性があって、集団は有能である、と考えられれば、子供達に任せる、頼れる。
逆に、年齢的にできないだろうというバイアスがかかれば、任せられない、頼れない。
そういう気持ちになってしまうのかもしれない。
「子どもの権利条約」についての話も。
子供にとって、一番良いことを。ここにおける子供は権利の主体であり、国は権利の保障である。
この後にも、フリートーク。
子どもの権利条約、1〜40条を見て、何を大切にしたいか。
私のフリートークのグループは、学生や議会の方が多く、教員になる身の人の考えや、政治的にはどう考えるのか、というところを聞けたのが良かった。
・親も一緒に学ぶ、親も育てていく、という考え方。
・自由に意見って、本当に言える?
大事なのは、子供が安心して意思表明をできるような環境を一緒に育むこと。
先生や親の顔色を見る、そこで行動を決めてしまう、そこから出る子どもの言動は、本当に意思表明したことになるのか?考えさせられました。
じゃあ、教員や親としてできることは。
なんでも子どもの言いなりになるわけでもなく、全て決めるわけでもない。
対等に。子どもの発想を大切にして、子供にしっかり説明して一緒に考えることが大事。
さて。今回の講演から、色々考えたことや疑問点があったので、まとめたいと思います。
①議会の方や、保護者の方が考える、教員の卵
話を聞いていると、教員になるために勉強してくる上で、本当にいろんなことを学んできている、と思われていることがわかりました。
今回の子どもの権利や生徒対応なども含めて。
「あれだよね、学校では、もうこういうの全部習ってくるんでしょ?」
そういうふうに言われました。
果たして、全て習ってきたのでしょうか。
権利の学習や法律だったり、教科の学習、指導についてはもちろん勉強します。
でも、どこまで身になっているかと言われると、正直まだまだと言わざるを得ません。
こういったことから、保護者の方や地域の方が、どれだけ教育や教員に対して期待してくださっているのか、というところが伝わりました。
より一層、しっかり学んでいく必要性を感じます。
②子どもの最善
よく、講演では、「子どもの最善を、」という単語が出てきました。
子どもの最善、ってなんなんだろう、と考えてしまいました。
子供は、一人じゃない。本当に多様で、もうとっくに大人な、これも変な言い方ですけれども、すごい発想を持つ人もいる。
そういう世の中で、全員に当てはまる子どもの最善とはなんでしょうか。
それは、最善と呼ぶのか。。。悩んでしまいます。
話で、子供は今の最善を望むし、大人は未来の最善を望む、というようなことを話していました。
確かに。でも子供も未来の最善を望むし、大人も今の最善を望むよなぁと。
そうすると、「最」善ってあるのかな?って。
というよりも、最善を考えて、考えて。
それこそ、大人だけが決めるんじゃなくて、子供と一緒に考えて。
それで出た結論を、「最善」にしていく努力をすることが、大事なんじゃないかなって思ったり。
③子どもの意思表明
子供の自己選択、意志表明はとっても大事です。
でも、どこから?とも。
例えば、幼稚園や保育園は、自分で選択できるのか。
小学校は?中学校は?
親が決めたから。学区だから、友達が行くから。
どこまで、自分の選択と言えるのでしょうか。
これも、結局、一緒に考えられるなら考えて。
そして、それを正解にしていくのが大事かなと。
また、そのためには、もしも違ったなぁとか、あっちがいいなぁって思った時に、やり直したり、簡単に移動したり、戻ってきたりができるような、そんな世の中じゃないと厳しいなぁって思いました。
だから、そういう世の中にしたいんですけれどね。
④じゃあ、子供と大人の区別って何?
子供の権利、子供の声。すごく大事。
じゃあ、どこまでが子供なんでしょうか。
体格?年齢?発想?
最後の教育長の方の締めに、とても納得しました。
じゃあ、大人の声は無視されていないのか?
大人の権利は?子供の権利と、実はそんなに変わらないのではないか?とか。
そうすると、確かに保護する対象である、とかはあるけれど。
実は、子供とか、大人とかの前に、そもそも一人の人間であることが保証されれば良いのではないか。
それは、子供だから特に!とかではなくて、子供も、大人も関係なく、対等にあるべき権利。
そこを、もっと考えてみたいなぁと思いました。
<フリートーク>
講演が終わった後は、フリートークの時間でした。
越後の会でお世話になった方々を含め、知っているかたが多く参加されていたので、挨拶したり、お話を聞いたりしていました。
いつもは、上越で会うからこそ、長野に行って会って話すのは新鮮。
上越から参加されている方ともお話しして。
自分がそれまで学んできた事の定義付けや、復習にもなりました。
やっぱり、講演を聞いて、たくさん考えて、アウトプットして整理して、また新しい考え方をインプットして、考えて、話して、、、、、、
この流れが、最近すごく楽しめるようになってきたなと思います。
だからこそ、人と話すのが面白いし、意見が違っていても良い。
いろんな意見を吸収して、自分の意見をブラッシュアップする、自分のできることを考える。
そういうのが、楽しめるようになってきたのが成長だなぁ、と感じました。
北信の会を主催された方々、講演者の方々、お話しさせていただいた方々、一緒に行ってくれた先輩方、ありがとうございました!