今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

2024/11/17 『学び合い』北信の会

先日、『学び合い』北信の会に参加させていただきました。

あまり長野の会に参加したことがなかったのですが、参加できて大満足でしたし、来年度以降教員になってからも、ぜひ行かせていただきたいなと思える会でした。

 

今回の目標として、「こどもの権利」とは何か学びにいくこと。長野の方とお会いして、お話ししたり、つながりを持つこと、他県の教育の施策や動向について把握し、自県で活かせる部分を考えること、などがありました。

 

では、振り返っていきます。

 

<講演>

前半は、講師の菊池様や西崎様からのお話を聞きました。

いろんな話題があったのですが、振り返ります。

 

最初は子どもの権利について。

子どもの権利、というものはそもそも元から持っているものであり、尚且つ子どもならではの権利である。(保護される対象であることなども)

 

さらに、一人に人間として、自分に関わるあらゆることについて声を上げる、決めることができる権利である。

 

子どもの権利だったり、子どもの権利条約については、本当にさらっとですが教員採用試験の時に学習したので、その知識も相まって理解が深まった感覚。

 

ここで、「子ども観」について、フリートークの時間が設けられました。

我々のゼミ、というよりも『学び合い』の本を読んでいるので、子ども観という言葉は非常に耳馴染みある言葉でもあり、「子ども集団は有能である」なんてさらっと出てきますが。

 

でも、昨年度から、本や先生の言葉を、自分の言葉で落とし込もう、自分の言葉にしようと思っている自分的には、どんなものが子ども観かなぁ、なんてことを考えていました。

 

今のところは、結局本当に多くの可能性を持ち、大人以上の純粋さと発想、力を持っている、そんなふうに言えるかなあ、なんて。まだまとまりきれていませんが。

 

話は、意見表明について。

話題には、「無意識の年齢の権力構造」がある、という話に。

「〇〇生が大人に混じっていて、すごい」や、「〇〇歳だから、できる」とか。

そういった価値観、感覚が染み付いているのではないか、というもの。

 

このバイアスがある、ということを意識することが大事だって。

 

確かに、子供には可能性があって、集団は有能である、と考えられれば、子供達に任せる、頼れる。

 

逆に、年齢的にできないだろうというバイアスがかかれば、任せられない、頼れない。

 

そういう気持ちになってしまうのかもしれない。

 

 

子どもの権利条約」についての話も。

子供にとって、一番良いことを。ここにおける子供は権利の主体であり、国は権利の保障である。

 

この後にも、フリートーク

子どもの権利条約、1〜40条を見て、何を大切にしたいか。

 

私のフリートークのグループは、学生や議会の方が多く、教員になる身の人の考えや、政治的にはどう考えるのか、というところを聞けたのが良かった。

 

・親も一緒に学ぶ、親も育てていく、という考え方。

・自由に意見って、本当に言える?

 

 

大事なのは、子供が安心して意思表明をできるような環境を一緒に育むこと。

先生や親の顔色を見る、そこで行動を決めてしまう、そこから出る子どもの言動は、本当に意思表明したことになるのか?考えさせられました。

 

じゃあ、教員や親としてできることは。

なんでも子どもの言いなりになるわけでもなく、全て決めるわけでもない。

 

対等に。子どもの発想を大切にして、子供にしっかり説明して一緒に考えることが大事。

 

 

 

さて。今回の講演から、色々考えたことや疑問点があったので、まとめたいと思います。

①議会の方や、保護者の方が考える、教員の卵

話を聞いていると、教員になるために勉強してくる上で、本当にいろんなことを学んできている、と思われていることがわかりました。

 

今回の子どもの権利や生徒対応なども含めて。

「あれだよね、学校では、もうこういうの全部習ってくるんでしょ?」

 

そういうふうに言われました。

果たして、全て習ってきたのでしょうか。

 

権利の学習や法律だったり、教科の学習、指導についてはもちろん勉強します。

でも、どこまで身になっているかと言われると、正直まだまだと言わざるを得ません。

 

こういったことから、保護者の方や地域の方が、どれだけ教育や教員に対して期待してくださっているのか、というところが伝わりました。

より一層、しっかり学んでいく必要性を感じます。

 

②子どもの最善

よく、講演では、「子どもの最善を、」という単語が出てきました。

子どもの最善、ってなんなんだろう、と考えてしまいました。

 

子供は、一人じゃない。本当に多様で、もうとっくに大人な、これも変な言い方ですけれども、すごい発想を持つ人もいる。

 

そういう世の中で、全員に当てはまる子どもの最善とはなんでしょうか。

それは、最善と呼ぶのか。。。悩んでしまいます。

 

話で、子供は今の最善を望むし、大人は未来の最善を望む、というようなことを話していました。

 

確かに。でも子供も未来の最善を望むし、大人も今の最善を望むよなぁと。

そうすると、「最」善ってあるのかな?って。

 

というよりも、最善を考えて、考えて。

それこそ、大人だけが決めるんじゃなくて、子供と一緒に考えて。

それで出た結論を、「最善」にしていく努力をすることが、大事なんじゃないかなって思ったり。

 

③子どもの意思表明

子供の自己選択、意志表明はとっても大事です。

でも、どこから?とも。

 

例えば、幼稚園や保育園は、自分で選択できるのか。

小学校は?中学校は?

 

親が決めたから。学区だから、友達が行くから。

 

どこまで、自分の選択と言えるのでしょうか。

これも、結局、一緒に考えられるなら考えて。

そして、それを正解にしていくのが大事かなと。

 

また、そのためには、もしも違ったなぁとか、あっちがいいなぁって思った時に、やり直したり、簡単に移動したり、戻ってきたりができるような、そんな世の中じゃないと厳しいなぁって思いました。

 

だから、そういう世の中にしたいんですけれどね。

 

 

④じゃあ、子供と大人の区別って何?

子供の権利、子供の声。すごく大事。

じゃあ、どこまでが子供なんでしょうか。

体格?年齢?発想?

 

最後の教育長の方の締めに、とても納得しました。

 

じゃあ、大人の声は無視されていないのか?

大人の権利は?子供の権利と、実はそんなに変わらないのではないか?とか。

 

そうすると、確かに保護する対象である、とかはあるけれど。

 

実は、子供とか、大人とかの前に、そもそも一人の人間であることが保証されれば良いのではないか。

 

それは、子供だから特に!とかではなくて、子供も、大人も関係なく、対等にあるべき権利。

 

そこを、もっと考えてみたいなぁと思いました。

 

<フリートーク

講演が終わった後は、フリートークの時間でした。

越後の会でお世話になった方々を含め、知っているかたが多く参加されていたので、挨拶したり、お話を聞いたりしていました。

 

いつもは、上越で会うからこそ、長野に行って会って話すのは新鮮。

 

上越から参加されている方ともお話しして。

 

自分がそれまで学んできた事の定義付けや、復習にもなりました。

 

やっぱり、講演を聞いて、たくさん考えて、アウトプットして整理して、また新しい考え方をインプットして、考えて、話して、、、、、、

 

この流れが、最近すごく楽しめるようになってきたなと思います。

だからこそ、人と話すのが面白いし、意見が違っていても良い。

いろんな意見を吸収して、自分の意見をブラッシュアップする、自分のできることを考える。

 

そういうのが、楽しめるようになってきたのが成長だなぁ、と感じました。

 

北信の会を主催された方々、講演者の方々、お話しさせていただいた方々、一緒に行ってくれた先輩方、ありがとうございました!