お久しぶりです。いわしです。まとめます。
なんと言いますか。書く前からわかっていることですが、どれだけ長くなることやら。
事実をありありと書き、そこに感想をつけていくというのが、私の見学や学びの記録ブログです。では、ゆったり振り返っていきます。長そうなので、目次つけときます。
<目次>
・瀬戸ツクルスクールの施設
・瀬戸ツクルスクールの1日
・子供達の公立学校への認識
・瀬戸ツクルスクールのお昼はすごい
・いわし。パン職人になる
・一尾さんに質問タイム
・1人も見捨てないって何?
・小学6年生にやる進路説明
・瀬戸プラクティカルカレッジ
・命綱のベーグル
・まとめ
先日、愛知県にある瀬戸ツクルスクールに見学に行かせていただきました。
すごかった、本当に。教育観が捻じ曲がりますね笑
自分は何をしていけるんだろうか、今後どうなっていくんだろうか。
そういうところを、考えさせられる場所でした。
<瀬戸ツクルスクールの施設>
元学校?っぽいところをそのまま使い、子どもたちが自由にできる空間に。
広々とした部屋や和室、調理室などがしっかり揃っていて、子どもたちの気分によっていたいと思う場所が変わったり。
<瀬戸ツクルスクールの1日>
ここからは、見て、混ざってやったこと、考えたことを色々と書いていきます。
まず、子供は小学校1年生から中学校3年生まで多様。
もう、最近いろんなところに行ったからか、異年齢でいることに何も驚かなくなってきました。
当然、それが集団のあるべき形だと思うし、良さは色々なところに出ている。
朝はクラス会議のやり方でミーティング。これも子供達が時間になったら勝手に始めている。
円になるのですが、メンバーも年齢も自由。とにかく全員がどこかにしっかり参加していればOK。
出席も、管理者の方が確認するわけではなく、電子での子供達が自由に出席チェックをする感じ。
ミーティングが終われば、DD(デジタルデトックス)しながら、各々が好きなことをして遊んだりする。
例えば、トランプでスピードをしていたり、ポケモンカードバトルをしたり。
おもちゃで遊んだりおままごとしたり。
中でも面白かったのは、小学校高学年と中学生がやるバイト(施設内)
ルールとして、子供達は300円来る時に持ってくるというルールがあります。
そのお金は、お昼ご飯だったりに自由に使っていいというもの。
面白かったところというのは、その300円を支払えば、高学年の子どもたちがご飯を作ってくれるというところでした。
この食堂についてはまた後でお話ししますが。
私も、子供達の中に混じって遊んだりしていました。
思ったこととして、まず大人の様子をチラチラ確認する子供がほとんどいないことです。
小学校だったりにボランティアや見学に行くと、一定数自分たちを見てくる子供たちがいます。その子たちのところに行くと、喜んで話しかけてきます。
でも、ツクルスクールではそういった視線がほとんどなかった。
視線は一緒に遊んでいる子供の方へ。
そういうところから、すでに子供達のそのグループが成り立っていることを知りました。
各々が自由に使う時間。
遊んだり、興味があることに時間を使って。
でも、みーんな何か会話してたりして、楽しそう。
<子供達の公立学校への認識>
一緒に遊んでいると、結構自分の過去のことについてお話ししてくれたりします。
中でも印象的だったこと。
学校は「刑務所」というワード。
衝撃、といえば衝撃ですが、実は思ったことがありました。
全員が同じことをして、何か悪いことや「普通」と呼ばれることから外れた場合、注意されたりもする。
好きに行動することもできない。勉強に縛られたり。
私は、「監獄」なんて読んでいましたが、それも高校に入ってから考えたこと。
小学生の口から、そういったワードが出てきて、うん、本質ついてるよなぁって思って聞いていました。
そういった空気感が嫌いだったり、やっぱり先生と合わなかったり。
先生と合わないっていうのも色々あって。
単純に自分が認められていないってなったり、いじめを見逃されて、だったり。
結局、クラスの雰囲気だけじゃなくて、先生が要因となっているケースは多い。
そういった子供たちばかりがいたわけではないし、自分の話した子たちがそうだったということもあるかもしれません。
でも、そういった子供たちが、ここでは楽しそうにしている。
それが、とにかく素敵だったのです。
聞けば、移住してきた人も結構いるそうで。
そもそも保護者の方の意識、教育に対しての認識や期待というものも、関係して、変化してきているというところをよく理解できました。
<瀬戸ツクルスクールのお昼はすごい>
いよいよお昼の時間になりました。
ゼミ生はみんな300円を出して料理を注文。
高学年の子どもたちはそれを集めて、メニューを考えていました。
私はまさにその高学年組と一緒に行動していました。
(というよりも、ガッチリ絡まれ拘束されていたんですが笑)
その子たちは調理室に集まって、調味料の残りの確認やその日のメニューから必要な材料を把握。買い出しへ。
「パン作るけど、食べる!?」と声をかけてもらいました。
話を聞くと、調味料は一尾さんがお金を出してくださっている関係で、パンはタダ!だそう。
面白そうなので「いる!」と即答。
結果、一緒に近くのスーパーへ買い出しに行くことに。
面白いのはここからでした。
スーパーへ行き、調味料を買う。
子供達の会話が面白い。
「最近値段高いよな。なぁどっちの醤油だっけ?」
「これだよ。一番安いやつ。これでいいじゃん」
これ、子供達だけでの会話なんですよ、自分たちより遥かに社会を知っている。
結局、もらうお金には限度があるから、常に考えて購入して、使わなければいけない。
だから、買い物も相当しっかりしていました。
スーパーから出て、そのまま帰るのかと思いきや。近くのお肉屋さんによっていくということで、ついていく。
自然に店主の方とお話ししていて。
なんでしょうか。初めてのお使いを3年くらい毎日やった感じの姿。
会話があって、でも子供と大人の会話でなくあくまで対等。
お店の方も、慣れてますって感じで対応していて。
シンプルに、すごいなって思いました。
私が小学3年の時、総合学習で近くの商店街に行って、そのうちのお気に入りのお店をリサーチ、PRするというのを1年かけてやったことがありました。
確かに、店主の方とお話ししたりしていましたが、それでも大人と子供の対話だったように思います。
学ばせる場を提供する側と、学びにきた側。そういう場がしっかりとしすぎてるくらい保証されていた。
やりやすかったけど、ハプニングも起こらないし、小学生だからなのか、本音も聞けず。
結局、私のPRしたところは数年後店を閉めてしまいました。
そういう話も、よく考えたら何にもできなかった。
でも、対等なら、そいういうふうに会話して。
そこで本当に課題感を持ってなんとかしようとしたんじゃないかって思います。
でも、それは保証された学校教育の場では厳しくて。
やっぱり、一お客様として、いく必要がある。そこでこそ本当の経験や問題発見になると感じました。
実は、他の子達も色々なパターンでお昼を取っていて。
例えば持ってきている子や、スーパーに低学年同士で買いに行って食べている子。
近くの子ども食堂がやっているラーメン屋で、一杯100円にしてもらってラーメンを食べ、残りをお菓子に使って帰ってくる子供たち。
不思議です。あの街では、お昼に小学生がお店に出入りしている。
普通にお客さんとしてきて、食べて、帰る。
それを受け入れている地域、という点でも非常に面白い。
<いわし。パン職人になる>
さて、買い出しが終わって高学年組と一緒に帰ってきました。
高学年組はもうベテラン。
テキパキと協力しつつ、注文があった料理を作っています。
手際よく、さっと作っている姿に驚かされる。
怪我しないのかな?って、見ていました。
後から一尾さんに話を聞く中で分かったこと。
そもそも、できないことは、子供自身でわかっていて、やらない。
やる子は、自己責任でなんとかする。
だから、結局できない子、やりたくない子もみんなやる調理実習は、怪我も出る。
本当は怪我してほしくないんだけれども、授業でやっているから、子供の中で自己責任にはならない。そこもまた教員の負担だったりになってしまったりもする。
料理も、遊びもですが。
ツクルスクールでは、子供たちが判断し、自己責任で行われていく環境。
それを保護者にも求め、理解してもらっている。
だから、いろんなことがあるけれども、ボーダーは校則でも、誰かが決めたものでもなく。
法律。
本当は社会がそうなっているんだから、ボーダーは法律であるべきなんですよね。
さて、お昼を作っている最中に、パン作りが始まりました。
手伝えーみたいな感じだったので、面白そ!と思って手伝い始めました。
気づいたら、師匠(私が勝手に呼んでいた、パン作り始めた子供)は別の料理を作り始め。
私は必死にパン生地をこねる、こねる。
確認しにきて、まだ、こねてって。
でも、無責任に放置されたのではなく、ちゃんとこね方まで教えてくれました。
なんだかんだ、パンなんて一から作ったことがないもんだから、苦戦しつつコネコネしてました。楽しかった。
いい具合になって、パン生地を分割して、形を作る。
ベーグルを作っていました。無料ベーグル。
結果的には、お昼の時間の途中で見学していた人は一尾さんと共に別室に行くことになってしまって。
作ったパンがぁぁ、、、という気持ちでした。
とにかく、子供たちが自己責任のもとで、作る料理。自分で考え行動するお昼時間。
お金の価値を認識して、使って、もらって。
そのやりとりを、すでに小学生がやっているということ。
自分の初めてのお使いから考えても、すごいことだなって思います。すごい光景だった。
<一尾さんに質問タイム>
午後からは、一尾さんに質問タイムでした。そこでの記録を色々と。
・なぜ300円なの?
給食って、だいたいいくらだろう?っていう話から始まって、だいたい270円くらいか持っていことで、きりのいい300円になった、という話でした。
この金額が本当に絶妙。
自分1人で使うのには物足りないけれど、みんなで出し合えば良いものが買える。
ここで問われるのこそ「生きる力」
自分1人では厳しいことも、協力することで効果が大きくなる。
それを、子供たちも実感しているんだなって思いました。
結局、メリットがある、必要性があるからこそ協力が起こる。
高度経済成長期になり、みんなで一つだったところから、経済的な背景によって1人一つが実現するようになって。
どんどん、「個人」になってきている。だからこそ、そういうところで協力の意味や価値があるということを、知っていくためにはそういう環境にいなければわからないなと思います。
『学び合い』も、結局人と繋がった方が得、協力した方が良い、自分が解るために必要。
そう考えるから、協力が成り立つのだと思います。必要性がある、そういった場・環境だから発生する。
・本当に、勉強していない。
子供たちを1日見ていましたが、本当に勉強していません。
1条校のように、学習指導要領に縛られることがない。
だから、基本みんな勉強していません。
勉強したくなったらできるという環境や勉強道具については豊富に揃っていました。
あとは、気持ち。
でも、強制されないから、逆に自分のやりたいことに集中していて。
勉強したくなったら、するって感じでやっているのだと思います。
・公教育では、「やりたいことをやらせてあげられない苦しさ」
子供が、自分の好きに向き合って、やりたいことをやっていて。
ツクルスクールだったり、フリースクールは許容し、褒めてもらえることがあるけれど。
学校は、授業と関係ないことをしていると注意される。
自分の好きを、突き詰められない。時間がない。それが、辛い。
私は、公教育の先生になったあと、そういう子供達を見た時になんと声をかけてあげられるんだろう。考えさせられました。
・保護者の方の意識
勉強が必要なら、各家庭で教科学習。塾に行っている子もいるし。
・子供達はお金が大好き。
この理由の一つに、お金があれば大人とでも対等に話せる、というのがあるんじゃないかという話になりました。
小さい頃に、お金に触れさせること、自由に使わせることに怖さはあります。
でも、よく考えてみると。
三百円で失敗する。例えば、使い方をミスしたり、取られてしまったり。
でも、大人になって3000万でそれをやるよりも、はるかに良い。
子供は、たくさん失敗して良いなって改めて思います。
それをカバーし、どうすればいいかを教えてくれる人がいるうちに。
以前浜松の会に出た時にもそんな話がありました。
子供達の中で「遊び」が減ってきている。
親として、子供たちにたくさん失敗させて、経験させる。
自分がいて、なんとかなる、取り返しがつくうちに。
そういう話とも、関わっているなと思いました。
・ツクルスクールでの、一尾さんの役割というか、立場は?
子供たちに一尾さんって何してる?って聞くと、答えられない。
しいて言えば、管理人、と。
本人にも聞いてみました。
今はまだ、文化を作っていくタイミングだからこそ、ルールの徹底やほんの少しだけ介入する時はあれど、基本自己責任、関わらないスタンス。
子供達は、結局文化継承が内部で勝手に行われていく。そこで善悪もわかっていく。
そもそも、誰も喧嘩や暴力に関して介入しない。
なぜなら、やられて嫌なら離れて行ってしまうから。
そうすると、結局暴力を振るう意味がなくなるし、ストレスも減っていく。
それに、年上の子供たちは、本当によくみている。
よくないこと、危ないことはちゃんと注意していたり、下の子は聞いていたりして。
そういう、注目引きをしなくても、仲間に入れるし。
逆効果だと気づくから、やらない。
嫌なら、そもそもツクルスクールを休んで、こない。
結局、来たくなかったら来ない、来なくていいシステムだから、人が流動的になる。
また、部屋も、人もたくさんいることで、集団でいること、1人でいることに対しての抵抗感や優劣がないというのも、居心地がいいと感じる理由かもしれません。
・ツクルの理念
普通の学校は、その学校の理念で動いている。
でも、ツクルスクールは、そもそも瀬戸市の理念からなり、瀬戸市が求める人材を育てるようになっている。
そういう、社会と教育のリンクがはっきりしている。
というところからも、社会と教育が断絶していないというところに、大事さを感じました。
これについてはまた後で。
<1人も見捨てないって何?>
私たちは、『学び合い』の語りでも、いろんなところで「1人も見捨てない」ことを語りますが。では、本当にできているか、本当の意味は?というところに焦点が当たりました。
一つの意見として。
学力では「1人も見捨てない」は無理である。
なぜなら、受験によって断絶されるから。
繋がりという点では、できる。
「偏差値による受験」という今の制度。これがある限りは、難しい。
ゼミの師が考える『学び合い』は、今の社会における公教育で、『マシ』と言える。
一尾さんは、そもそも公教育外から、社会自体を変えようとしている。
こういうところから私の考えたこととして、こんなのが挙げられます。
社会を変えるには、学校教育が変わるしかない。
でも、学校教育と社会(例えば、受験とそのための学習指導のありかた、学校のカリキュラム)はしっかり繋がっていて。
変えるには、両方から、同時に改革していくしかないというところに落ちました。
<小学6年生にやる進路説明>
小学6年生に行う進路説明も聞かせていただきました。
例えば、一年で年収どれくらい稼げばいいのか、とか。
今の会社、社会って?ってことだったりとか。
何より、幸せってなんだろう?っていう話題とか。
子供達のキャリアを、しっかり考えさせる内容だったなと思います。
平均年収や、現状の子供達の成績表と年収の関係性。
今進路説明会を受けている子供の状況。そういった現実をしっかり話していました。
また、イメージしやすいように、年収ごとの暮らしについても話していて。
具体例があることで、子供たちもイメージしやすいなって思います。
企業と社会の話では、終身雇用の崩壊、会社寿命等に触れつつ、昔のままの考えでは危険なことを伝えます。
最後に、自分の幸せについて考えさせる。
今の公教育のすごいところに、本当にある程度成績や通知表の点数と、年収の相関がある、というところ。これは私もしっかり調べてみたいのですが。
でも、これは逆に言えば。絶対に漏れ落とされる子供がいて。
成績をつけるということは、そういう認定をする、ということでもあることに。
<瀬戸プラクティカルカレッジ>
進路説明会の最後は、中学生の卒業後の進路の一つである、瀬戸プラクティカルカレッジについてお話を聞きました。
いや、これが本当にすごいシステム。
ツクルスクールの子供達、本当に勉強していないけれどなんとかなるのかな、という不安がありました。
しかし、その不安を拭い、むしろそっちの方が良いのでは?というシステムがちゃんとありました。
というか、結局このシステム全てを含めて、一つの教育システムであり、子供達の幸せを保証する方法の一つなんだなと思います。
高校生が個人事業主になるための学校。
そのために準備された豊富なカリキュラム。各学年ごとに、確実に実力がついていくようになっていました。
高校生は、学費の半額をバイトをして払う。これが絶対のルール。
これがあるからこそ、まず高校生でバイトを通して社会に出て、礼儀を学び、生きていくすべを学ぶことにつながるし。
何より、自分で学費を払うからこそ、結局責任があり、自分ごととして学びにくる。
そういう、良い循環があるなと思います。
バイトはリアルです。インターンや職場体験では決して見れないものがある。
働くってことが、こういうことなんだなって、よくわかると思います。
それこそ、キャリア教育だし、最も良い職場体験である、そう感じました。
説明会後は、少し休憩を挟んで。
瀬戸ツクルスクールに通ってきていた子供たちは帰宅。
いよいよ高校生が登場でした。
そんな高校生と一緒に、実際に授業を体験させていただきました。
これがめっちゃ楽しい。
日々のリフレクションを徹底的にやったり、現状の社会問題を知って、考え、プレゼンしたり。
結局、起業した時にこういう部分に生かされるんだろうなというものが非常にわかりやすい。
リフレクションの方法も、非常に面白くて、本が欲しいなって思いました。ポチります。
そこの高校生も、大人と話すことになんの抵抗もなく、好青年たち。
プランを作り始めていました。
やっぱり、ここまで全て見学してこそ、瀬戸ツクルスクール見学だったな、と。
<命綱のベーグル>
見学の日程がもう少しで終わるーってところで、一尾さんから声をかけられました。
「子供たち、パン残して行ったみたいだよ!」って。
驚きました。みんな普通に食べたもんだと思っていたので。
プレートに焼いたパンが3つほど残してあって。
もしかしたら、もう食べきれなかったから置いてあっただけかもしれない。
でも、お昼時間を過ぎたら本当は片付けなくてはいけないのに、プレートの上に置いておいてくれました。
ちゃんと焼けていたパン。
正直結構泣きそうで。すごく嬉しかったし、本当だとしたら、すごく優しいなって思います。
結局、それをもらって、もぐもぐしてからツクルスクールを出ました。
パンは本当に美味しかったです、もちもちで最高でした。
そして、数時間後。なんと、移動中の高速道路で事故。
通行止めになる前にすでに事故現場の近くまで行ってしまっていたこともあって、事故渋滞に巻き込まれる。
1時間から2時間ほど待ちました。お店もみんな閉まっていく時間だった。
私の薬の関係上、低血糖になりやすいという特徴もあり、心配していました。
でも、全くお腹が減りません。なぜか。ベーグルです。子供たちが作ってくれた。
あれのおかげで、その時間食べなくても持ったのです。
本当に偶然でしたが、救われました。
改めて、子供たちに本当に感謝でした。
<まとめ>
本当に、いろんなことを学んで、面白かったし、楽しかった。
でも、帰りの車は頭が重かった。
なぜか。それを書いてまとめにします。
私自身、先日のフォーラムのことをずっと考えていました。
理想論かもしれない、ということ。
子供達の一生涯の幸せを保証する。
学級が作れたら本当に良い?高校で、結局分裂してしまうのではないか。
だから、社会をなんとかしなきゃだけど、具体的には?どうすれば?自分は何ができる?
ある意味、それについて一つの解が出た、と言っても良いかなと思います。
簡単に言えば。
子供達の一生涯の幸せを保証していくためには。
・教育の、内から壊し、再構築する。
・教育の、外から壊し、再構築する。
これだよなぁって。
自分は、公立学校の教員になる。
なので、内から、粛々と。子供達の幸せの土台を作り、送り出す。
でも、それだけでは足りなかった。
送り出した先が、うまくいっていなければ、結局意味がない。
だから、社会を見る必要性があったんだなと気付かされました。
ゼミの師が、ローカルなコミュニティや社会について知って、生き方レベルの『学び合い』になってきた、と言っていました。
ずっと、なんのことかわからず、でも言っているからとりあえず言ってみる、という感じでした。
やっと、ローカルのコミュニティの意味、わかりました。
なぜ地域を復興、創成していくのが良いのか、という問い。
そこに、ツクルスクールが見せてくれた一つの解がありました。
少子高齢化によって、企業がもう大卒をあまり必要としなくなってきている現状。
結局、その地域によって産業が違うからこそ、その地域に根付いた教育が行われていくべき。
その地域で、その地域の教育をして、その地域で子供たちが大人になっていく。
その利点は、単純に、生きやすい、幸せになりやすい、ということ。
サポートしやすく、学校でできた仲間たちと離れてしまうことも少なくなる。それは、ゼミの師がいう未来に近づく。
それに、教育と企業が結びつく。
それは、とにかく人手が必要な、中小企業に大切なこと。
そして、そういう必要な人材を、市や地域で掲げて、それが学校の目的になる。
全て、一貫することになる。
子育ても、しやすい。高校からバイトをしたり、企業に就職することで、保護者の負担(とりあえず大学に行くことによって発生する学費など諸々)も減る。
そうすると、子育てしやすい、お金もあるからこそ、子供を産みやすい環境になる。
人口減少の対策にもなる。
そういう形が、その地域でどんどん循環していく。
だから、教育はどこまでも、地域、社会に根付いたものでなければいけない。
そして、今の現状を変える力は、内側にも、外側にも必要で。
どっちかが先とか後とか、強さ別々とかではうまくいかず。
両者から同時に、同じ分の力で壁を壊して、繋げていくこと。
それが重要であり、自分の中でも課題、なんとかしたいものだと気づきました。
では、自分はどうしていくか。その解を、翌日の見学で考えていくことになりました。
結局!
一教員として、子供達の幸せの基盤、集団を作ること。
社会人として、教育と地域がつながっていく働きかけ、つながりの場を作っていくこと。
その二つが、メインの軸になるなと思いました。
特に社会人として、というところでは、『学び合い』の会と言わずとも、会やイベントをして、先生が対象ではなく、地域全てを対象とした何かができればいいなという発想も。
これまでは、やっと教員としての軸を探す旅でした。
これからは、社会人として、社会をなんとかしていく、そのための軸探しと、補強、つながり。
そういうものが、自分には新しくできてきたなと思いました。
本当に、面白かったし、考えさせられました。
どう生かしていくか。考えたい、話したい欲がすごく出ている。
単純に、教員という枠に収まる話でなくなってきたことに対して、不安もあれば、面白さ、ワクワクもある。
自分は何ができるか。
今できることを、どんどん、貪欲にやっていきたい。
一尾さんをはじめ、ツクルスクールやプラクティカルカレッジの子供達、一緒に学んだゼミ生の皆さん。本当にありがとうございました。