先日長野県千曲市にあるユースセンターオレンジファムの見学に行かせていただきました。
以前は、現職の院生さんと一緒に訪れました。
今回は、ゼミの先輩と共に。
以前の訪問の時は、正直とにかくいろんな学校外の学びの場を見てみたい!現職さんについていけば学びがある!という気持ちで行きました。
また、その頃は自分の軸が定まっていないということもあって、皆さんがどのような軸を持って働かれているのか、というのにも興味がありました。
見学はとても学びになったし、現職さんと代表の方とのお話は興味深かった。
でも、その段階でまだ自分は完全のその話の内容を理解できる知識基盤がなかったように思います。
そこから考えることはたくさんあったけれど、自分から疑問を持って考え、話す、というよりも聞くことがメインになっていました。
今回は、そもそも自分の聞いてみたいことをたくさん持っていたり、今までの経験から話せることがたくさんあると思っていました。
また、代表の方とも越後の会を通して少しお話しさせていただいたということもあって、とても話しやすかったです。
ということで、以前行った時と滞在時間的には変わらなかったはずなのですが、話していて時間が一瞬で過ぎていったなぁと感じます。
それだけ、自分自身の今までの積み重ね、学びがこの半年で多くなったのだなと実感。
知識がついて、興味が広がれば、聞いてみたことがたくさん出てくる。
自分の軸が定まれば、そこと対比してお話ができる。
とりあえず、踏み込んで、一歩外へ出てみることの大切さを改めて実感しました。
さて、ここからは話した内容を思い出しながら書いていきたいなと思います。
よくまとまってませんが。。。
<オレンジファムの様子について>
施設が移り、新しい施設へ!ということで、一瞬道に迷ったのですが、無事到着。
あれ?このスタバ、見覚えがあるな、って思っていたら、半年前来たところのすぐ近く!
ということで、新しい施設も見学させていただきました。
子供達が自由に遊んだり、リラックスできるスペース、塾で学習できるスペースも健在。
どでかい卓球台が印象的です。
以前もあったよなぁと思いきや、新しいものだったそうでびっくり。
子供達の様子も、ぱっと見は変わらないように思えました。
以前よりも子供の人数が減ったかも?と思ったのですが、その日その日で変化するようで。
最近から学校に行くようになった子達もたくさんいて、ずっとそこにいる、というよりも
「エネルギーを補充して、また学校へ戻っていくための場所」というように感じます。
いった時は、スイッチでゲームしたり、音楽を聴いている様子もありましたが、午前はデジタルデトックスということでスポーツをしたり、勉強したり。
きっと、いろいろなスタイルがあるのだと思います。
完全な「居場所」としてのスタイル。「そこで最後まで育て上げる」というスタイル。
「一時休息場所」というスタイル。
これも、どれが良い悪いではなくて、結局子供達が選んでいくものなのだなぁと考えます。
<役割分担>
私が今回オレンジファムに伺った理由の一つに、自分がこれから教員になるとして、どこまでが自分の領域か、それを定めにいくという理由がありました。
領域、外に出たら除外、そんなふうにいうつもりは全くありません。
そもそも、自分の学級で、誰一人も見捨てずが共通認識になり、本当に一人も見捨てられず全員が楽しいと思って学級に来てくれるのがまず大切です。そこを目指したい。
だからこそですかね。逆に自分の領域というか、学級が絶対ではないという意識も持っていたいなと思うのです。
その価値観が、逆にしんどくなってしまうこともある。
単純に、自分という人間に合わない子供もいる。
自分の学級でなくとも、他のクラスにそういう子供達がいたときに。
直接アドバイスできるかはわからないけれど。
それでも、自分がそういった場所があることを知っているか知らないか、またそこでの子供達の姿や将来を知っているか知らないかでだいぶ違うと思うのです。
少なくとも、
「自分の学級が全てだ!そこに合わない人なんていないよな!?」なんて考え方、言動になることはなくなる。
そういう、自分の中でのお守り的な役割として知っておく必要があるのだと思っています。
それに、やっぱり今の形式、公教育が取る形に合わない人はいる。
その時に、取れる選択肢は何か。
もっと言えば、今後そういった現公教育の形が崩れた時に、おそらく公立学校とフリースクールのような学びの場が並列になっていく。
自由選択の形、行き来自由の形になっていくと思います。
その将来のために、自分は知っておく必要があったからです。
そこで出た答えとして、役割分担。
公教育を行っていく自分の立場で、できることをする。
私は、誰一人も見捨てない学級を作る。
これはあくまでも、教科学習中心の公立学校のスタイルで。
そこを、子供達がどう選択していくか。
自分が選ばれなかった時に。
でも、その学校に来たい時もある!となった時に。
それぞれの教育の場での役割を実行しつつ、協力していくことが本当に大切だなと思います。
やっぱり、今の指導要領を行う教育の中でできない体験が、そこではできるのは事実。
そういう役割分担をしっかりとまっとうしていくこと。
ま、そもそも、そこで大事なのが「子どもが主語になる」ということ。
自分たちがこうさせたい、どうこう、、、というのではなくて。
結局、子どもたちがどうしたいか、というのを。選択の自由を保証して、全力でサポートするのが大人のできることだなぁと思いました。
<きっかけ>
代表の中島さんが、オレンジファムを作ることになったきっかけについてもお話ししました。
詳しくは、書きませんが、すごく納得できました。憤りも。
コロナというのは、本当に社会を変えていたんだなぁと改めて感じます。
そして、自分が大学で経験できたボランティア。
楽しかったこともあるし、悲しかったこと、辛かったこと、怒ったこと、たくさんあります。
そういう一つ一つのことが大切で、原動力なんだなと。
代表の中島さんは、自分とあまり年齢が変わらない。
今の自分の年齢の、2年後には、決断して起業されていた。
すごいパワーと覚悟だなと改めて思います。尊敬します。
自分には、多分無理だなぁとも。
でも、こうして自分が尊敬できる方とお話しできて、そうすることで自分の中でもモチベーションやエネルギーが増しているのもわかります。
適材適所、役割分担。
自分ができること、できる場所で、精一杯やっていきたいと思いました。
<今後のキャリア>
長野県の教育についてお話ししている中で、近隣の学校の校長先生のお話が出ました。
とてもお人柄がよく、素晴らしい先生だと。
その方が来られてから、学校もどんどん変化していった、というお話を聞きました。
特に、教頭先生は、オレンジファムやフリースクールと密に連携している方が多いそうで。
また、そういった管理職の方々が、学校に行けない子供達と積極的に関わっている、という話も。
話の中では、
「〇〇(自分の名前)さんは、今後のキャリア的に管理職になりたいとか考えてますか?」
と言うふうに。
私自身、大学に入るまでは管理職に、いずれキャリア的になりたいなと言う気持ちはありました。
ゼミに入って、どこが重要かわからなくもなってきましたが。
自分の家族も大事だし、負担が大きくなってしまうのも事実。
それでも、管理職になることで、何か子供達にとって良い環境になるのなら、努力は惜しまないつもりでいます。
実際なれるか、と言うのは定かではありません。自分の気持ちの話です。
私自身、尊敬している校長先生がいます。
それとは別に、こういった管理職の方がいたら働きやすいだろうなぁと言う気持ちも。
何より、子どもたちの学ぶ環境、そう言うものを整えたい。
できれば、学校内で完結せず、地域も含めて、一緒になって子供達が幸せに暮らせる環境を整えることがしたい。
そういったことの力になるのであれば、目指しても良いかなと思っています。
どうなるかわかりませんが。
一つの例として、素敵な校長先生のお話を聞けたのも事実。
学校という規模か、地域か、県か。
いろんな道があるし、自分の力量ももちろんあると思います。
ここでも、子どもたちを主語にして。
自分ができることを考えたいなと思いました。
<批判の矛先>
ゼミの師はよく、子ども、保護者の批判は決してしては行けない、と言います。
当然のことなのですが、当然にできなければいけない。
けれど、人は不満を言ってしまう時もあって。
でも、絶対にしてはいけないことである。
何かを批判する時、その矛先は批判先に向かっているように思っていました。
もちろん、当然そうなのですが。
実は、自分の後ろにある大事なものまで影響を及ぼしている、ということを考えさせられました。
Aへの批判は、Aにだけ影響があるのではない。
自分が本当に大切にしたいと思っているB。
そのBがAのことを良いと思っていても、それすら邪魔してしまう。
フリースクールが、その子が在籍する学校や教員の批判をすれば。
本当は戻りたいと思っている子供の心にも蓋をすることになる。
大人の姿を、子供はよく見ているのだなと思います。
自分と違うもの、うまくいっていないものに対して、自分とは違う!だからよくない!と否定や拒否するのではなく、そういう選択肢もあって、それが良いとする人もいる。
「自分の考えとしては」という一語が大事であって。
これもまた、誰が主語になるかによって変わるということを常に意識していく必要があるなと思います。
当然『』も、一斉授業も。
誰にとって、良いのか。
自分は良いが、相手はどうか。
そういうことを、ずーっと考えていく必要があるなと思います。
自分の立ち位置、動機、客観視。
すごく大切だなと思いました。
<これからの社会の変容と、自分の考え>
最近の自分のテーマに、学び直し、があります。
人口減少が進み、大学が選別。
ジョブ型大学が増え、非ジョブ型大学は淘汰されていくようになった時。
それに合わせて入試制度が変わり、そこから学校で学ぶ内容も変わる。
個々の選択が重視される社会になっていくとして。
それこそ、今はとにかく、大学進学を考えているけれどそうではなくて。
高校卒業後に定職について、幸せに暮らす道。
専門性を学びに大学へ行ったり、資格をとりに大学へ行く。
そして、奨学金の制度などを利用して、また地元に戻ってくる。
そんな社会では、今の学習内容が必須と呼ばれなくなる社会。
小さい時から、職業体験なども多くやったりして。
何より、大人になって、自分の職業じゃない、新しい職業に興味が出たり。
そういう時に、自分が小さい時に勉強していない、から大学にも入れない。
そういうのは嫌だなって思います。
実際、今の社会も、大学は現役がいい、みたいな風潮もあるし、
大人になって、やりたいことを見つけて。
でも、年齢的にも、勉強をもう一回やり直して、大学に入って、資格をとって。
そういうのって難しいって感じる社会だなって勝手に思っています。
そういう時に、誰でも、どの段階からでも学び直せて。
尚且つ、門戸が広い大学入試の制度で。
自分のしたいことを、いつからでも始められる社会って素敵だなって思うようになってきています。
学び直せる、塾、のような。
そういう道も、面白いなぁなんて画策しながら。
いろんなことを考えました。
まず、その社会というのがどんなもので、どうなっていくのか。
その辺をしっかり本で読みたいなって思いつつ。
越後の会でもまたたくさん本買っちゃったので。
それも読みつつ。卒論もやりつつ。
今年度。いろんなところに行けるのも、おそらく最後。
行けるだけいって、会えるだけ会って。話して。
自分の視野を広げていきたい。
ありがとうございました。