今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

言語化

昨日は、教採&実習の打ち上げと言うことで焼肉に行ってきました。

久しぶりの焼肉、美味しかった。

 

それぞれの今後の話なんかもして。

 

 

不思議なことに、その人とご飯に行ったり話していると、一つの議題に対して色々話し合ったりする、みたいな討論のような形式になったりすることがよくあります。

お互いアプトプットが好きということもあるんでしょうが。

 

ゼミの師がいう、「本を読み、自分で考え、人と話す」を体現しているような人です。

 

だからかいつものことですが、だいたい話していると自然と教育の話題になっていったりする。

それで話の流れで討論することに。

 

今回は、自分が考える今後の教育と社会について自分が説明して、それに全て反する形で向こうが論を展開してくる、というもの。

 

3年からゼミで学んできたこと、本で読んできたことなどを組み合わせて、今後の社会がこうなっていくんじゃないか?ってこと、教育ってこうなったらいいよねってことを伝える。

 

もちろん今の社会の形とは違うわけだから、相手は今の社会、今の教育でしかできないことで論を組み立ててくる。

 

 

そこで、なぜ今のままではいけないのか。そこから変化した先に、どんな社会が待ってるのか、その利点は。。。

 

そういう話になってきます。

 

そうすると、こちらが展開する社会の展望は、まだ細部が未完成だったりでそこを詰められたり。

 

必死に現状の問題と合わせたり、メリットを挙げつつ。

 

 

そうしていくと、なんで今自分はそういう社会や教育になって欲しいのかより根拠がある理由を作り出すことができます。

また、自分があまり見えていない細部、

例えば、なぜ地元、地域を残していかなければならないのか。

そういう、今まで学んだことでまだ靄がかかっている部分にフォーカスを当てて考えることになる。

 

 

結局、討論の勝ちも負けもないので、普通に終わるのですが。

 

 

自分の考えていることに自信を持って論を展開するには、常にそれに反対する意見を自分の頭の中でぶつけるのが良いなということに気づきました。

 

 

どんな物事についても、自分の意見を持って、なぜそれが良いと考えたのかを考える。

そして、それを否定する意見は何か考えて、それに対抗する意見を考える。

 

そういう思考の仕方を自分の中で常にできれば、より自分の考え方が明確になる気がしました。

 

また、それによって不十分なところを埋めていく作業が、本などによるインプットなんだとも。

 

実際に今回話をしている中で、自分がまだはっきりと言えない部分、靄がかかったところがありました。そういったところをインプットしていくのがいいなと。

 

普通に生きていて疑問が出る時もあるけれど、それだけじゃなくてそこに何を考えて、他にどういう考えがあって。それを裏付けるためには、、、

って考えていくのが、次の読む本を決めてくれるのかなぁって思いました。

 

 

結局話した後に言われたこととして。

それこそゼミに入る前なんかにやった時は、

「言われたことを普通に飲み込むことも多かったけど、自分の意見を持って反論してくるようになって、それについてもしっかり根拠があった」というふうにいってくれました。

 

確実にこの数年で学びは増えているなって思うし、それは教育についてだけじゃなくてもっと広い範囲に及んできているなとも。

 

これからも、精進していきたいなと思います。