今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

坐禅、いや椅子禅かな?

怪我をしてから、いろんな予定をキャンセルして自分の部屋に篭る。

 

結局、なるようになったのか、なんなのか。

帳尻を合わせるようにして、卒論に集中しなければいけない時間が生まれたとも言える。

 

どうせ座るか横になるかしかできないので、1日卒論に打ち込む。

 

無心で、質問を聞いて、カテゴリ分け。

気づいたら30分が経っている。

 

今の動画の内容だと、30分に4本見れれば良い方。

 

 

質問内容は、やっぱり昔の動画ほど、卒論や支援校の話ばかりで。

あとは『学び合い』の基本、セオリーについての質問が多い。

 

もちろん、自分が実は気になっていたこと、学校に出て実践する時に聞いておきたい話も出てくるから、聞き入ってしまったりもするけれど。

 

何より、聞いていて面白いなって思うのは、そういった授業レベルの『学び合い』にとらわれない質問が出た時である。

 

それは例えば、恋愛、結婚、家庭観だったり、社会についての質問だったり。

一番面白くて、最近では一番馴染みがある、先生の生き方についての質問。

 

そういう質問が来ると、つい面白いなって思って聞き入ってしまう。

 

 

今のゼミではさも当然のように、先生に「先生の生き方について〜」とか

「先生って〜?」なんて質問するけれど。

 

昔のゼミでは、そんな質問が出るのがイレギュラーだったみたいで、

そんな質問が出ると、笑いが起こったり、先生も「お前、それしか質問ないのか?」なんていったり。

 

 

でも、不思議なことに、そういう質問ほど、ゼミ生みんな聞いていて、あーだこーだ会話が増えるのです。

 

 

現職院生さんたちの研究で、問答についての質問がある。

 

やっぱり、質問する方も、される方も、どちらも自己開示になっているんだなって思います。

それに、意外と全員に共通している「卒論」だったり、「『学び合い』のセオリー」についての質問ではなくて、

 

質問者の「人」がわかるような質問に、みんな興味を持つ。

 

その様子からも、単純に集団での問答が、新しい集団内の関係性の構築に役に立っているようにも思います。

 

 

あとは、今では考えられないけれど、学部や院生、それぞれの代で分かれてゼミをしているということも。

 

やっぱり、混ざると質問の質も変わるし、よりわちゃわちゃしてくる。

 

 

今のゼミの名前の、「わちゃゼミ」なんてネーミングも、実は昔と今でゼミの姿が変わっていて、今こそそのネーミングがぴったりなのかも?なんて思ったりしてきました。

 

 

どうせ、ここからあまり外出できないのであれば、この月目一杯、研究の分析に当てたいなって思います。