さて、昨日調子が悪かったのもあり、午前中しっかり休ませていただいて。
午後からは、いつものように調子が戻ってきたので『学び合い』の会に参加させていただきました。
そもそも、体調不良の原因について考えたのですが、よくよく考えてみると、先週の木曜日から、ほぼ毎日誰かと会って話したり、教採があったり、ゼミの各会関係のタスクが多くて学校に残ったり、というような生活をしていて。
一番大変だった、教採の後からあんまり休んでないんだよなぁって思い出して。
ま、そりゃ体がついてこれないなぁと反省。暑い夏だからこそ、よく休むべきでした。
さて、今日は『学び合い』の会 横浜✖️湘南✖️川崎に参加させていただきました。
金欠大学生としては、なかなか他県に足を伸ばす、というのはやりたくても叶わない。
だからこそ、オンラインも解説してくださっている『学び合い』の会には、ここぞとばかりに参加したいもの。
以前一度参加させていただき、学びが多かったのもあってまた参加させていただきました。
会が始まるまでのズームの待ち時間。
ズームで顔を合わせたのは、知っている先生方ばかりでした笑
昨年だけで、たくさんの方と関わらせていただき、そういった待ち時間でも雑談ができるくらいまでお話しできる関係性になれたことが、非常に嬉しいなと思っています。
同じ県でなくとも、同じものを探求して、頑張っている人生の先輩方の姿を、近くで見て、話すことができるようになったのが自分の成長でもあるとも思います。
ということで、非常にアットホームな雰囲気で始まった会。
そこでのことをつらつらと。
今回の話題提供してくださった先生は、以前お話を聞いた時は小学校での『学び合い』実践について。
それが今度は中学校へ移動されて、『学び合い』実践。すごい。
両軸でやったからこそわかる話も出てきて、非常に面白かったです。
私自身、短期ですが教育実習を通して、小学校、中学校それぞれで『学び合い』をさせていただくという、とても貴重な経験を実習でさせていただきました。
その話とも重なるところがあり、非常に納得してお話を聞いていました。
話の筋として、私が特に興味を持ったのは、
・小学校から中学校に移っての感想
・『学び合い』における板書
・『学び合い』における評価
でした。
・小学校から中学校に移っての感想
やはり、教科担任制のお話や、部活動のお話が多かったでしょうか。
そこが小学校と中学校で大きく違うところでもある。
部活動が入ってきて、先生も生徒も忙しい、というのはわかっていました。
ですが、新しい視点。教科担任制であることによって、各教科の先生の授業スタイルや課題量が異なっている、ということ。
小学校では、担任の先生が1日ある程度の授業を見るため、授業の調整や、宿題の調整は先生の加減で変更することができます。
しかし、中学校では、なかなか教科間の連携が取りづらいということもあって、しんどい授業の連続、各教科からの大量の課題。
それによって、子供にも余裕がない状態になる。
また、単純に子供に接する時間が減る分、生徒指導の対応としても時間をかけられず、スパッと届くように強い言葉になってしまったりもする。
こういった違いが、小学校と中学校にあると。
実際に実習に行って感じたことですが、圧倒的に中学校の方が子供達に関わる時間が短い。
そこで、どう声をかけていくか、教科の力を伸ばしていくか。
非常に難しい問題だなと感じます。
また、ペースの早い学習は、学習の価値を考える暇がない。
以前のブログでも書いたように、中学校以降は自身のキャリアについて考える時間があまりないように思うのです。
常に勉強の押し詰め状態。
だから、授業内でも、「テストに出ないのにやる必要ある?」とか、「内申点に関係する?」なんて声も。
学ぶ価値、必要性。
そこがやはり流されやすいのかなぁとも思います。
そんな現状を、改めて知る機会になりました。
・『学び合い』における板書
よくある話で、『学び合い』の授業では板書は先生がしたいからしていて、子供たちは誰も見ていない、なんて状態。
他にも、生徒自身が板書を作り始めるケースも。
オンラインで話題にもなりましたが、私自身中学校や高校の経験として、
なぜわざわざ教科書に書いてあることを写すのか。という疑問。
それは、工業化社会の名残として、教科書が全員に行き渡っていない時を想定された教授法。
今は、全員の手元にある。使うのも自由。
ならば。
自分は、学ぶ意味とか、そういう教科書に載っていない、自分の考えを書いたり。
あとは、子供たちと一緒に板書を作っていきたいなと思っています。
落書き、とは違うのですが、学級の子どもたちが自分「たち」の思考を広げるツールの一つとして、大きな黒板を使えたら、良いなと思っています。
改めて、どう『学び合い』の授業で板書しようか、一つの参考になりました!
・『学び合い』の評価
話の中で、少し気になったのが評価について。
動いて、主体的に学習に取り組んだから評価が上がる。
ゼミでも、繋がること、動くことを評価対象として、点数をつけたりしたら、
「動くことの価値、繋がることの価値がその点程度のものである」と子供達は考えるという話をよく聞きます。
だから気になっていたところ。
もちろん、最終的には繋がること、動くことが得だと子供達の中で落ちてくれれば一番良い。
そうなるために、評価がきっかけとなったら、それはそれでもいいのではないか、ということ。
子供達の成長するための環境を整えるのが教員。
オンラインでは、例えば子供達に主体的に学習に取り組む態度の評価基準をつくってもらうのはどうか?という話をしました。
実際、小学校なら可能です。
しかし、中学校では、同学年でも他の先生が受け持つクラスもあり、評価は一律に行うべき。
そこに難しさがあるなと思います。
けれど、結局は評価の妥当性が大事で。
なぜその評価なのか、がしっかりと教員の中で言える必要がある。
そういう点では、子供達の共通理解として評価基準があれば、先生としても良いのになぁなんて思って。
自分がもし小学校の先生になれたら、ぜひ評価の基準も子供達に考えてほしいなと思っています。
書いていて、追加で。
話題提供者の方は、『学び合い』の課題についても工夫されていました。
例えば、発展問題をつけたり、次回の予習1ページはやってもいいことにしたり。
どうしても、『学び合い』の授業を1時間で行う場合、最後まで頑張る子、教える子という関係性が残ります。
そこで、自分は邪魔になったり、人に任せても良いなと判断する子どもたちもいる。
声がけで、自分たちで問題を作って出し合ったり自分の学習を進めたりする子どもたちもいます。
その新しい手段として、発展問題や予習をやる、というのはすごく参考になりました。
ある意味、自由進度学習。ま、『学び合い』自体が自由進度なんですが。
自由進度学習や、今回の課題などが出されても、わからない子が放っておかれないのは、『学び合い』で誰一人も見捨てないを掲げているからだと思います。
だからこそ、必ず、教える層も生まれる。
いろんな会に出て、自分が教員になってからやってみたい実戦のイメージが確実にできてきているなとおもいます。
もっと関わりを広げながら、いろんな方の実践、考えについてこれからも触れていきたいなと思います。
本日関わらせていただいた方々、本当にありがとうございました。