濃いめの話⑤について。
『学び合い』実践は、なかなか今は異端である、という話。
学校観として、教員や社会、そして保護者の方々は
「子どもたちにこういう力をつけさせたい、こういう大人になってほしい」という願いがある。
それは、社会において、各省庁や企業が考える「こういう人材が欲しい」という考えから来ている。
要は、社会が望む人材になるために、そこに至るまでに必要なものを学校で身につける、という考え方。
現在の学習指導要領も、「〇〇な資質能力を身につける」といった言い方である。
逆に、『学び合い』の考え方は。
それらは、すでに「子ども集団」は持ち得ている、と考える。
その上で、力を身につける、というよりも。
とにかく、生きて、社会で生き抜いてほしい、と考えること。
そこが、大きな違いなのだろうという話。
子供という子供はいない。
これは、子供一人をみての話でなく、集団になった時。
それは結局、大人と何一つ変わらない、ということ。
子供達は、すでに全てを持っている。
だから、それを教員は信じることが大切だとしている、ということ。
そう考えると、今の社会の学校観と『学び合い』の学校観は違うように思う。
社会の思想は大切だ。
結局、子供達が大人になった後は、学校ではなく、社会という枠組みで生きていく。
そこで生きていくこと=今社会が欲している資質能力を備えた人間、ということになるのだろうか?という疑問も現れる。
確かに、「生きる力」というが。
本当に生きていく力、生き抜く力とはなんだろうか。
単純に、教科書に載っているものができた、できないで判別されるようなものなんだろうか。
結局、教科を学習した先に何があるのか、どこまでも突き詰めていかなければいけないと思う。
確かに、いろんな知識、技能を身につけることも大事だろう。考える力も、行動する力も。
でも、平等に、全員が持つ必要もない。
最終的に一番大切なことは、結局。
子供たちに、幸せに生きて欲しい、ということ。
その願いに立ち返って、今の学習、授業、社会がどうなのか。
よく考える必要がありそうだなと感じました。