昨日行われてた濃いめの対談を聞いての感想や考えたことを少しずつ書いていこうと思います。
その①
最初は、お三方のそれぞれの自己紹介的なことからスタート。
知っている方もいたので、改めて最近どんなことをしているのか知る。
皆さんが自分の所属している研究室のOBということもあり、昔のゼミの雰囲気についてもお話しされていて。
卒論で以前のゼミについても動画からわかることもあり、それと照らし合わせてお話を聞く。
やはり、ゼミでの質問の変化は、皆さん同じように感じているようで。
つまり、何かしら変化している。そしてそれには原因がある。
その理由についても、自分の仮説と同じようなことをお話しされている方がいて、より研究の信憑性が増してきたなと思いました。
自己紹介をする中で、「自己開示」のお話についてあったので今日はそれ。
確かに、子供達からすれば、誰??となることが来年想像することが容易である。
そこで、最初の自己開示が必要だということ。
自己開示は、単純に好きなもの、とかそういうのも含まれるけれど。
結局、その先生が何を考えて、どう生きてきたのか、人生はどうだったのか。
そこに興味があって、それによって話を聞くのか聞かないのか、従うべきかそうでないかが最初に判断される。
確かに、自分も最初の先生の挨拶(特に知らない先生の時)や授業のオリエンテーションなんかで、だいたいその人の雰囲気や自分がどこまでやっていいのかという範囲をある程度定めてように思います。
この先生は、何まで許してくれるのか。どこに重点を置くのか。
それを聞きたいからこそ、しっかりと語る必要がある。
最初の語り、学級開き。
自分ならどうするだろうか。よく考えておかなければいけないな、と思いました。
結局、西川純教授の本では、教員の心が大切だ、というふうに読むことができると思っています。
その心は、その時の感情だけでなく、それまでの人生、「その人」の姿が大切であること。
そこから考えて、今子供達に願うことは何か、どう子供達の活動や行動を価値づけするか。
そういう面でも、自己開示においても、自分の分析、自分の今までというのは重要であるなと再確認できました。